※文中の()内の数字記号は昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。
太平洋の荒波に間断なく揉まれ、ようやく寝付いたのもつかの間、朝5時にはすっかり目が覚めてしまった。出だしは船旅でゆっくり寝られると思っていたのに、とんだ計算違い。せめて波がおだやかな瀬戸内の航路にしておけばよかったかなぁ・・。
古ぼけた歯ブラシとタオルをヒップバッグから抜き出し、居住まいを正してフロアに出ると、どうやら昨夜一睡も出来ずに夜明かしを決め込んだらしい、疲れた顔をした10人ほどがテーブルにたむろってテレビを見ている。画面も安定しており、かなり沿岸に近づいているようだ。
しかしそのニュース番組の内容たるや、ひどいものだった。昨夜新宿の繁華街でビル火災が起き、数十人もの人が逃げ遅れて死亡した・・と伝えている。私もかつて首都圏に住んでいた事もあって、馴染みのない場所ではない。その頃からは10数年以上たっているし、特にあの街に知り合いがいたわけではないが、もしや被害者として知人の名前が出るのではと思うと、いささか陰鬱な気がした。
港に降りたってしばらくすると、4駆のワゴン車がやってきた。今日の宿泊地、黄和田キャンプを主催するH氏とエス氏。お二人には昨年の伊勢キャンプでお世話になって以来の再会となる。日頃はインターネットで情報交換をしている。そして今回はH氏のフィアンセも同行される。
地元H氏の運転で先導してもらい、大阪の都市部の高速群をひた走り、一路キャンプ地を目指す。さすがに手慣れた運転で、複雑なルートをスムーズに抜けていく。高速インターをくぐる事すら稀なイナカ者には、この先導はありがたい。もし単独走行であったなら、到着時間は大幅に遅れていたろう。
琵琶湖のほとりで休憩し、八日市インターで下道に降り、あとはキャンプ地までR421を1本道。途中で食料の買い出しを済ませ、昼過ぎには現地に到着出来た。
(関西:P32/G-3)
黄和田キャンプ場は琵琶湖にそそぐ愛知川の上流域にあり、東にひと山越えると三重、岐阜、愛知3県が接する木曽川河口にほど近く、山あいの静かな河原に広々としたサイトがある。
直火が遠慮なく使えるのが嬉しいが、ゴロタ石の多い川砂利ベースなので、ファミリー用テントに標準でついてくるプラスチック製のペグや、安物のハリガネペグでは手強い。私の持っている丸金ペグもそう高いものではないが、出かける前にグラインダーで先端を尖らせておいたので、少々の砂利床でもがちっと食い込んでくれた。奇麗に整備されたキャンプ場以外では、やわらかい芝生にテントを張れる事なんてまずないから、野宿旅を目指すならテントは安物でもペグやハンマーは頑丈なのを別に買って常備しておくべきだろう。
テント設営も終わり、食事の準備をみなで始めるが、その間にも続々参加メンバーが到着してくる。初めて会う顔、なつかしい顔。しかしみんな何年来かの友人のように、とても近しく感じる。日頃はインターネット上のみで情報をやりとりしている仲だが、こうしてたまに直に顔を合わせて毎回感じる事は、どこからともなく沸き出してくる不思議な連帯感だ。こればっかりは味わった者にしかわかるまい。
集団自殺や出会い系サイトによる犯罪など、当節あまりいい話を聞かないインターネット世界ではあるけど、こういう使い方ももっとアピールしてほしいものだ。
酒も食事もいきわたり、焚き火がごうごうと燃えだす。みんなとてもいい顔をしている。私も焼酎をあおり、昨夜の地獄のような縦揺れはすっかり記憶の彼方に消え去ろうとしていた。
焚き火のはぜる音を聞きつつ、しだいに心地よい眠気がやってくる。
さぁ、明日はどこまで行こうか!