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北上ツーリング 2001年8月31日-9月21日

※文中の()内の数字記号は昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。

神奈川入り編 2001年9月3日

旧道

トンネル入り口

通勤ラッシュの始まらないうちに、早朝のR1をさらに東進、神奈川県を目指す。じつは私は神奈川に5年以上住んでいた事もあり、寄ってみたい所がいろいろある。今のペースで進めば、昼過ぎには到着出来るだろう。

途中道の駅「宇津ノ谷峠」でトイレ休憩に入り、ふと観光案内板を見ると、旧東海道の煉瓦造りトンネルというのが近くにあるらしい。ツーリングマップルにも「一見の価値アリ」なんて書いてあり、話のタネに寄ってみる事にする。

(中部・北陸:P26/D-3・関東甲信越:P10/B-3)

R1から左に入ると、いかにも旧街道といった雰囲気で、石畳の道が坂の上に続いている。案内に従って登ると、やがて古めかしいトンネルの入り口が見えてきた。旧東海道を往来する人々のため、明治9年に日本で初めて造られた「有料の」トンネルだそうだ。現在残る赤煉瓦のトンネルは後年に再建されたものだが、自動点灯式の照明が備えられていても1人で歩くのはちょっと怖い。特にこの日はごうごうと風がトンネル内に吹き込んで、まるで獲物を誘っている異世界への入り口のよう。つい先日映画館で観た「千と千尋の神隠し」の冒頭シーンを連想してしまった。昔の旅人も、おそらく気の弱い人は思いきり走り抜けていったに違いない・・。

雨の気配

今朝からちょっと雲行きが気になっていたのだが、富士市に入ってからいっそう空がどんよりしてきた。本来なら左手に富士山が見える筈だと思うのだけど、雲が低くてぜんぜん見えない。そろそろ雨具を着るタイミングを計っておくべきだろうか。

沼津からR246に入り、御殿場市方向へ。このあたりは秦野市に住んでいた時分に、自転車で時々来ていたところだ。しかし当時の面影はあまりない、というか、忘れてしまっているのか。何しろ昭和60年代の話だからなぁ・・。

このまま246を上って、一気に神奈川中央に行ってしまおうか、それともどこかに寄り道するか・・そういえば、昨日はお風呂に入っていない。大井川近くの温泉は友人から訊いて知っていたが、時間的に立ち寄れなかったのだ。

御殿場市の萩原北交差点から右に折れ、箱根に向かう。時間にも余裕ある事だし、どこか適当な温泉でゆっくりするとしよう。


箱根の湯

風呂上がり

箱根の豪快なワインディングを一気呵成に駆け上り・・と行きたいが、観光バスやら何やら、車がいっぱい。平日でこのありさまなら、週末は寄りつかない方がいいかもしれない。

観光地とはいえ、あまり値段の高い温泉は入る気がしない。宮城野というところに露天の温泉を見つけたが、指定の駐車場がやたら遠かったり値段もアレだったりで、その近くに宮城野温泉会館という食堂兼営のところがあり、おとな400円と値段もぐっと庶民的なこちらに決める。先客は地元の常連らしいおじいちゃんが2人、のんびりつかっていた。

(関東甲信越:P26/B-6)

「バイクで鹿児島から来ました」と言うと、かなり驚かれる。やっぱりと言うべきか、距離が遠くなるにしたがって驚きのレベルも高くなっているみたいだ。このぶんだと、東北あたりでのリアクションが楽しみだ。


思い出の地

某社前にて

雨具を着込んで箱根を下りきると、すぐ小田原の市街地に出る。ここは懐かしい街だ。バンドの練習場だった駅近くのスタジオ、いつも夢枕獏が立ち読みしていると噂だった本屋(当時ためしに行ってみたら本当に立ち読みしてて驚いた)、駅前の雑多な雰囲気は昔のままだ。

大井松田を抜けて、秦野市へ。ここはかつて勤務していた工場と寮があるのだ。小田急の駅から南口を抜けて左に折れ、本屋のある通りをぐるっと回って踏切を渡る・・

ゆっくりと思い出すように、あの頃の通勤路と同じ道筋を、荷物満載のBandit250で辿ってみる。国道を横断し、落花生畑を抜けて〜いまはコンビニと住宅街だ〜やや細い道を下ると、なつかしい工場正門に至る。

幹線道路の周辺はさすがに様変わりしていたが、静かな並木道や赤ちょうちんなど、ここらは昔のままだ。小雨のぱらつくなか、正門前でパチリ。あれから13年、愛車とともにまたこの正門前に立っている事が、とても不思議に思える。

工場をぐるっと回り、並木の続く道を通って、昔の寮を見に行く。しかし建物はまだあったが、社名の看板は私の知らないものに変わっていた。そして今は使われていないのか、玄関の大きな窓から覗き込んでも人の気配がまったくない。白い壁にはコケが汚くはりつき、どうやら何年も手入れされずこのままになっている様子。

『何なんだ、これは・・』

ここで夜通し飲み明かし、語り明かした連中の顔が次々に思い出される。まぁ思い出したくない事も多いが、この寮のたたずまいを見ていると、みんな時の彼方に流れ去ってしまった幻のように感じられた。かつて雑木林だらけだった周囲にも工場の群れが押し寄せてきているから、ここもいずれ別の会社の寮になるか、取り壊されて新しい工場の用地になる運命だろう。

しかし思い出は消えないだろう、私の中で生き続けるかぎり。あの頃の仲間の笑顔と、この寮の思い出といっしょに・・。


津久井湖のほとり

雨の宿り

R246で伊勢原から厚木に入る頃には、雨はいっそう激しさを増していた。しかしこの町にも3年ほど住んでいた事があるので、勝手知ったる道にそれほど不安は感じない。

市内のGSで給油し、そろそろ今夜の宿の目当てを付けなくてはならないが、このあたりは山の方に行けばキャンプ場の類はいっぱいある。友人の家が津久井方面にあると聞いていたので、周辺のキャンプ場を当たってみる。時間が合えば話くらい出来るかもと期待していたが、残念ながら風邪をひいて寝込んでおり出て来れないとの連絡が入った。

今夜の宿、津久井湖に流れ込む道志川に面した「青野原オートキャンプ場」に入ると、広い河原に掘っ建ての屋根が造ってあり、この下なら雨の中でのテント設営にも不自由しない。さっそく設営をすませ、食事の準備に。

(関東甲信越:P34/E-3)

野宿で何が楽しいと言って、夕食のご飯の炊きあがりを待つ時は我を忘れる。まさしく一日の労働の締めくくりにふさわしい。本日のおかずは焼きそば。ピーマンやにんじん、ブタ肉も遠慮なくどっさり入れる。麺を炒めるときにチョイと水を足すのがコツだ。その瞬間ほとばしる、ジュアーっという水蒸気の音はいかにも「料理してるぜ!」って雰囲気があって、静かになりがちな単独野営ではけっこう嬉しい。

まぁ欠点としては、だいたい麺は3,4個パックなので、ヘタすると3日連続で食わなければならない事くらいか。

食事を終える頃は、あたりはすっかり闇。そのへんのゴミを掃除し、屋根の下に奇麗なビニールシートを広げておく。じつはもうすぐ来客があるのだ。


夜半の来客

Mさんのスケッチ

闇を裂いて、ひとすじのライトが河原に降りてきた。今日私がここへ来る事を知って、わざわざ訪ねてきてくれた方、エム氏である。彼もやはりBanditオーナーズのホームページの一員で、Bandit400でレース活動もされている。厳しい闘いの中で得られた数々のノウハウは、他の追随を許さない。そんなエム氏と直接お会いして話せるなんて、それだけでもここに来た甲斐があったというものだ。

しかし初対面のエム氏は、想像していたよりはるかに若かった! あの技術的な思慮深さから察するに、私と同年かそれ以上の専門職の方かと思っていたのだが・・こういうところがネットの面白さでもある。

挨拶を交わし、ご足労いただいた礼をのべる。そして忘れてはならないものがひとつあった。エム氏は私のホームページの、ジャスト2万人目にあたる訪問者でもあるのだ。もちろん延べ数ではあるが、いわゆる万単位のキリ番に当たった方には、いつも粗品を進呈させてもらっている。今回は宮崎産の麦焼酎にさせていただいた。エム氏もお酒好きらしく、とても喜んでおられた。

その後も時を忘れて語り合い、楽しい夜を過ごさせてもらった。じつは来週の土日に、山中湖でBanditオーナーズの全国大会があり、私も参加する予定になっている。エム氏はその運営スタッフの中心的存在でもあり、上手くいけば、また10数日後には再会出来るはずだ。

山中湖での再会を約し、エム氏を見送る。

さて、明日も気合い入れていくぞ!


本日の走行
247km トータル833km
ガソリン
898円(静岡丸子・165km/9.0L)
851円(厚木市・172km/8.6L)
温泉
400円
食費など
1,396円
宿泊
400円(青野原オートキャンプ場・バイク100円、清掃代300円)
合計
3,945円