※文中の()内の数字記号は昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。
『どっから来たの?』
朝、トイレを借りたヤマザキデイリーストアのおじさんに、鹿児島から来ましたと言うと、びっくりしたような大声を出して、ついで笑った。
(東北:P20/D-4)
『知り合いが鹿児島の甑島にいるんだ、あそこにはこの村と同じ字を書く川内市というのがあってナァ』
などと言い出したので、じつはそこの出身なんですと言うと、さらに声が大きくなった。その方は川内市の沖合に浮かぶ甑島に住んでいるとの事で、おじさんは鹿児島の他のいろんな町についてもよくご存じだった。ここに来てはじめて川内市を知っている人に会ったのが何かうれしくなり、つい用もないのに店先に置いてあった土産物のドジョウ籠など買ってしまったが、これくらいのサービスは許容範囲だろう。
これから東京まで行くというと、距離があるから気を付けてと、親切に川内村からの脱出経路まで書いて下さった。近道もいろいろ教えてもらったのだが、まだ道路も濡れている事だし、細い山道は避けて、結局マップルに従って国道沿いに郡山市を目指した。
R288を東に進み、山岳路の風合いからだんだんひらけた景色になってくる。
(東北:P20/A-2から西へ)
大規模な交通量のあるひと桁国道よりはずっと走りやすいが、逆に目立ってくるものがある。動物の礫死体だ。山あいと都市部の中間あたりになると、交通量の多さと周辺の動物の数がちょうどクロスするのか、30分も走って2〜3匹は見かけたろうか。
私も自宅にネコを住まわせているが、こういう光景はやはり心が痛む。せめて苦しまずに死ねたろうかと、ココロの中で手を合わせてしまう。
今日いくつ目かのネコ死体を車線のやや左に寄って避けたところ、突然後ろにいたRVワゴン車に車体スレスレの追い越しをかけられた。けっして遅いペースではなかった筈だが、まるでネコの死体を避けるついでのように、改造マフラーの下品な爆音と共に右腕をかすめ、前へ斜めに割り込ん出来た。
瞬間、恐怖と怒りでカッと血がたぎるのを感じた。こいつはライダーとネコの死体を同じに見ているのか!そんな気持ちを逆なでするような排気音をさらに響かせ、RV車はどんどんスピードを上げて遠ざかっていく。
『クソッ、逃がすか!』
ギアを巡航用の6速から一気に4速に落とし、右手に力を込めた。エンジンが1万回転以上に跳ね上がり、カァァァーンという4気筒独特の音を響かせて、一気にレッドゾーン手前の1万7千まで吹け上がる。蹴飛ばされたボールのようにダッシュするBandit250とRV車との距離はみるみる縮まってくる。向こうも気づいたようで、車体の後ろを沈み込ませて逃げようとしたが、もう遅い。
後ろから見ると、ドライバーはどうやらシートベルトすらしていない。さっきの仕返しとばかり、運転席側の鼻先をかすめるように、思いきり斜めに割り込んでやる。驚いてブレーキを踏んだのか、キュッとタイヤを鳴らす音が聞こえた。ダッシュボードに白いボアを敷いた悪趣味な運転席に寝そべっているのは、子供のような顔をした小僧。
向こうも加速して追いかけてくるつもりのようだが、カーブのたびに距離が広がっていく。こんな山道では、飾りパーツで肥え太ったRV車などBandit250の敵ではない。ミラーから見えなくなっても、いやます怒りにペースは速まり、山中の国道を一気に駆け抜けた。
かなり走ったところで前走車の列につまり、ようやくスピードダウン。久々に、しかもいきなりのフルパワー走行を続けたせいか、こめかみがじんじん熱くなり、ヒザもガタガタしている。しばらく車の列に従って走るうちにようやく頭と体がクールダウンしてきて、事態を冷静に考えられるようになってきた。
巨大な4輪相手に馬鹿な事をしてしまったかもしれない・・下手すれば引っかけられブツけられて、一巻の終わりだったかも・・。
怠惰な危険行為を仕掛けてきたのは向こうだし、もちろん自己嫌悪というわけでもないが、ちょっとミラーが気になりだす。RVが追いついてくる気配はまだないが、今度けしかけられたら相手にせず、車列をすり抜けてでもさっさと逃げる事にしよう。
道幅もやや広めになったあたりで、また前方のセンターラインにネコらしき黒い影を見つけた。しかし今度のは道路にノビていず、普通に座っているように見える。横を通るときスピードを落としてみると、ネコがこっちを見た。
(こいつ、まだ生きている!)
反射的に減速し、反対車線の路肩にBandit250をつっこんで停めた。真っ黒な毛並みの、まだ1才未満の小さなオス。歩いて近づいても、こっちを見てはいるが全然逃げようとしない。ケガをしているのか?
車がこないのを確認して、センターライン上からさっとネコをひっつかんで路肩に駆け戻る。両足は力なくダランと下げているが、ケガをしているような感じはなかった。鼻の先に汚れがこびりついて、どうやら風邪でもひいているようだ。地面に降ろすと、にゃぁにゃぁと鳴いて膝に体をこすりつけてくる。寒い日の田舎道では、時々アスファルトの上に寝っ転がって暖をとるネコがいて焦る事があるが、こいつもそのたぐいだろうか。しかし願わくば、そういうのは家の軒先とかでやって欲しい・・
空き地に入れたBandit250の下にもぐり込んで、黒ネコはエンジンの匂いをくんくん嗅いでいる。
もちろん連れていくわけには行かない。草むらの向こうにコンクリブロックの置き場があったので、そこでエサをやる事にする。たしか今朝の残りのソーセージがまだあったはずだ。ヒップバッグの中をごそごそ探している時にも、黒ネコはおとなしくすわってアクビなぞしている。まったく呑気なやつだ。ソーセージを手で千切り分けて広告チラシの上に置くと、最初は怪訝な顔つきをしていたが、食い物だとわかると猛然とがっつきだした。よっぽど腹が減っていたのだろう。もっとも腹を減らしていない野良ネコなどいないのだが。
こういうときはどこのネコもアゥゥ〜、グゥゥ〜と唸るような声を出しながらひたすら食う事に没頭するので、こっちが頭をなぜてやっても知らんぷりだ。でもこういうネコ族の特質たる自己中というかマイペースさは、嫌いじゃない。そういえばネコを抱きかかえたのは、この旅に出てから初めてではなかろうか。自宅に残してきた白黒のネコをちょっと思い出す。
残りを全部やって、それに夢中になっているうちに退散するとしよう。まだ封を切ってないのが1本あるが、こういう場合はネコも余計に食おうとして結局吐いてしまったりするから、そこそこの量でとどめておき、次のエサを求める鳴き声を出す前にその場を離れるのが、野良どもとうまくやるコツだ。
Bandit250に戻ってエンジンをかけ、発進。ネコはまだ夢中で食べている。もう道路で昼寝なんかするなよ!
そういえばソーセージをやっている最中に野太い排気音が通り過ぎていったが、たぶんさっきのRV車だったのだろう。でも、そんな事はもう、どうでもよくなっていた。
郡山市でR4に入ってからも、かなりのペースで距離を稼ぐ事が出来た。
(東北:P19/C-3から南下)
お昼ごろには白河市から栃木県に入り、西那須野町のセブンイレブンで休憩ついでにパンで昼食。空はまだどんよりとしているが、とりあえず雨の落ちてくる気配はない。タンクバッグのマップルを関東版に切り替え、10日ぶりに関東圏に入っていく。
(関東:P63/A-6)
鬼怒川を越え、新幹線の東側に沿うように南下して走ると利根川を越える橋に出た。ここの橋はなぜか有料になっているので、たった200円ではあるけど支払いを惜しんで県道17号に乗り換える。しかしこの橋の手前が猛烈な渋滞、道も狭いからすり抜けも出来ない。流れのいい向こうの橋がなぜ有料なのかわかった気がする。都会って怖いなぁ・・。
この橋を越えるだけで30分くらいかかったろうか。ようやく川向こうに降りると、のんびりとした利根川の道沿いに下ってR16を目指す。今夜の宿は相模湖近くのR氏宅での約束をしているので、都市部を半円状に迂回して八王子まで走るR16なら、網目のような道路に埋没しないで走れるだろう。
江戸川を越えて埼玉県に入り、春日部から八王子方面の西へと向かう。しかし流れはともかく、あいかわらずの排ガスの濃さにはあきれるばかりだ。この辺は高い建物もなく、高架を走っていると眼下には関東平野が広がって見えるのだが、地平線の彼方は排ガスのグレーに霞んで見えない。都心からやや離れたあたりでもこんな感じでは、都知事がいろんな車輌規制をしたがるのも、なんとなくわかる。
時刻は夕方。午後5時をすぎ、激しさを増す通勤ラッシュを避けるように道ばたの吉野屋にBandit250を突っ込み、休憩がてら牛丼をかきこむ。約束の時間まではまだあるとはいえ、このペースでははたして何時に着けるだろうか・・。
店内は拍子抜けするほど空いており、牛丼の並が280円に味噌汁50円(!)、これで儲けが出るというのだから凄い。この旅の間はアルミのコッヘルでご飯を食べているが、ズシリと重い陶器の器はやっぱりいいなと思う。
入間から福生あたりは自衛隊や米軍の施設が並んでいる。ゲートに出入りする車の列がかなり長く、国道側の流れにも影響している。そういえば先日のアメリカのハイジャック事件の影響で、各地で警備体制が強化されているとラジオで言っていたっけ。
あまりに混み合う国道に、あきる野市あたりでどうにも我慢出来ず脇道に抜け、近道をしようと企んだが、どこの道も車でいっぱい、すでに周囲は暗闇に落ちており、地図の確認もままならない。結局すぐに元の道に逆戻り、狭苦しい路肩をじりじりと進む。八王子市内からR16を離れるあたりでようやく普通通りに走れるようになり、ほっと一息。エンジンに溜まったストレスを吐き出すように、R20から大垂水峠を一気に駆け上って神奈川県に入っていく。
(関東:P34/F-2)
R氏はまだお仕事中で、合流は午後9時ごろになるとの事。峠を下りきったあたりで連絡を取り合い、近くのコンビニを待ち合わせ場所とする。峠を越えたこちら側は季節外れの観光地といった風情で、先ほどまでの大混雑がウソのようだ。
駐車場のわきにBandit250を置き、膝を屈伸して背筋を伸ばすと、ウゥっと思わず声が漏れた。喉もなんだかいがらっぽく感じる。今日1日でいったいどれくらい排ガスを吸い込んでしまったろう?
久々に雑誌など立ち読みしつつ時間をつぶすが、ふと写真週刊誌を見ると、先日のアメリカの事件が特集されていた。
『・・!!』
このとき初めて、後にアメリカ同時多発テロと呼ばれる一連の事件の概要をビジュアル的に知る事となった。コンビニの妙に青白い蛍光灯の下、世間の情勢とかけ離れたところで呑気に旅していた自分を強烈に批判されている気がして、なんだか言いようのない、暗い気持ちになってしまった。
やがて仕事を終えたR氏が、後期型の黒いBandit250Vに乗ってやってきた。5月の阿蘇以来久々に会う長身痩躯の青年。
何と声をかけたものか・・一瞬口ごもった自分が、なんだが妙に頼りなく思えた。