※文中の()内の数字記号は昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。
テントではいつも午前5時前くらいに目が覚めるのだが、今日はスロースタート。ゆうべ寝つけなかったので、ちょっと寝不足だ。
午前6時半、周囲はすっかり明るくなっている。朝食をすませてテントを撤収、出発の準備。昨夜の事はなるべく思い出さないように忙しく動いた。
昨日通った県道を逆にたどって国道に向かう。すると、昨日の夕方は気が急いてて気付かなかったが、キャンプ場の場所を教えてくれたおじさんに会ったあたりから見える高速道路に「山陽道最高地点」という看板が見えた。ちょうど昨年の夏、伊勢までのツーリングをした時、やはりこの山陽道を東に向かって走っていた。早朝からの連続走行でぼーっとした頭の中、この看板だけが妙に印象に残った事がある。
(中国・四国:P41/H-5)
その場所がどのあたりだったのか、その後どうしても思い出せなかったのだけど、こんなところで再会出来るとは。昨夜の件といい、このあたりは不思議な事が多いようだ・・
さて、出発が遅れたので、国道の通勤ラッシュに見事にハマってしまった。車列の脇を抜けながら、先を急ぐ。今日中に北九州市に入らなくてはならない。幹線道路のR2を西へとひた走る。
午前10時頃に広島市内に入った。道は広くなっているが、交通量も多い。原爆ドーム前の平和記念公園にバイクを停めて休憩。修学旅行か遠足か、小学生の子供たちが多い。「原爆の子の像」前には千羽鶴や絵がびっしりと置かれ、子供たちが先生の指揮にあわせて合唱していた。そういえば私もいつかの修学旅行で、似たような事をやったような気がする。
原爆ドームの周辺も、昔より奇麗に整備されているようだ。天気が良いせいもあるだろうが、当時のバスガイドさんが妙に沈んだ声で案内してくれた印象からするとずいぶん明るく見える。世界遺産に指定されたというこの建物も、経年劣化で傷みがひどいのだそうで、内部には補強のための太い鉄骨が仕込まれていた。戦争当時は犠牲者の体液で赤く染まったという川面には、今は遊覧船がのんびり浮かんでいる。
明るい公園には鳥がさえずり、のんびりとした日和ではあるが、やはりここに来ると沈痛な思いにさせられてしまう。あの悲惨な歴史が2度と繰り返されないように願うばかりだ。
公園を出たあと、広島市にいる友人のお店を訪ねてみようと思ったが、正確な場所を知らないのにいまさら気付いた。駅前のどこかだったと思うのだけど、平日の仕事中では連絡もつけられない。駅前のあまりの混雑とバイクの置き場所探しに困り、結局そのまま退散、市内を後にする事に。
高速を使えば広島までは実質的な日帰り範囲だから、また思い立ったときに来ればいい。そう思えるくらいの距離まで戻ってきたのかと思うと、今までの長い距離を振り返って、少し寂しい気持ちになった。
県境を越えて、いよいよ本州最後の県、山口へ入る。
岩国市には有名な錦帯橋があるが、ひそかな橋マニアとしてはちょっと興味をそそられる。しかし結論から言うなら、あまりに観光地すぎて私の性には合わない場所だった。たしかに見事な木造橋ではあったけど、私はどちらかというと生活の一部として供される手垢のついた古い橋の方が面白いと思っているので、こういうショーウインドウに飾られた日本人形みたいなのはピンとこない。川岸の駐車場もユルユルの砂利が敷き詰められていて重いバイクは難儀した。とりあえず写真を1枚だけ撮り、10分程度で退散、そろそろお昼時なのでどこかに寄るとしよう。
山口には何やら巨大なにぎりめしをウリにしているお店がある、と以前から聞いていた。その名も「いろり山賊」。私の愛車の名前Banditは直訳すると山賊、まさにうってつけのところではないか。今日のお昼はそこにしようと決めた。R2を走っていると、なるほどあちこちに「いろり山賊」の看板が立っており、かなりメジャーなお店のようだ。いちばん近いところではあと数キロ、山あいの道を駆け抜け、にぎりめしを目指す。
(中国・四国:P61/G-3)
R2ぞいに岩国から廿木峠を越え、玖珂市に入ったところにいろり山賊はあった。しかし・・建物の異様な外観に、なんじゃコリャと思わずつぶやいてしまった。和風というか桃山建築というべきか、とにかくゴテゴテに飾り立てた外観は見る者を圧倒する。どういう由来でか、駐車場の傍らに高さ5〜6mはあろうかという巨大カカシが唐突にそびえ立っているのもヘンだ。
今日のお昼はここにしようと決めていたから、なんとか入る決心がついたのだけど、堅気のバイクツアラーなら見て見ぬ振りして通り過ぎたくなってしまうのではないか、それくらいのインパクトがある。ここには外観の写真は載せてないが、「いろり山賊」でネット検索してみると多くの関連ページがヒット出来るので、関心のある方はぜひ調べてみていただきたい。
さて、到着はちょうどお昼時でお客さんも多かったが、入り口近くの縁側風の座敷は冷房がないせいか誰も座る人がいなかったので、私1人で足を伸ばし、広々と占領出来た。
注文はウワサの「山賊にぎり」(450円)、ちょっと足らないかなと思ってそばも頼んだ。
しばらくして威勢のいいおばちゃんがお盆を運んてきた。米の量が実にお茶碗2杯分という大きさの山賊にぎりは、昆布と梅、シャケなどが入り、全面くまなく海苔が巻かれてある。噂に違わずボリュームたっぷりで、これだけでも充分満足出来る。おそらく子供や女性はちょっと食べきれないかもしれない。他にブロイラーを丸焼きにした山賊焼きという冗談みたいな串焼きもあったが、とても挑戦する気になれない。これは次の機会に譲ろう。
R2をひたすら西進し、時刻は午後2時ごろ。
防府を過ぎる頃になるとだんだん眠気がしてきた。そのたびコンビニで休憩し、ブラックガムなど噛みながら、さらに走る。体を動かしていれば、睡魔はある一定のところを乗り越えるとウソのようにすっきりと消え去るものだ。
下関市に入って小月を越えるとGPSの軌跡が南下方向に下がるようになり、いよいよ山口県の末端部分にさしかかってくる。今夜は北九州在住のKさん宅にお世話になる予定。ペース的にはちょっと早いから、お会いする前に温泉にでも入って奇麗にしておきたいなぁと思ったのだが、道はどんどん交通量が増え、速度も増してくる。路肩に寄って停まればいいのだけど、なんでか周囲のペースに巻かれて、とうとう関門トンネルの入り口まで押し込まれてしまった。午後4時すぎ、その勢いで関門トンネルを通過。ついに九州上陸!
(九州:P6/F-2)
本州最北端の大間岬から北海道に渡ったときとはまったく対照的な、感傷もへったくれもない本州脱出だが、単純明快な九州人の性格にはむしろこういうのが合っているのかもしれない。ただし情緒を求めてやまないロマンチストなバイクツアラーには向かないと思う。夏休みの北海道とくらべて九州のツーリングにあまり人気がないのは、夏場はクソ暑いという他に、どうもこのへんに理由があるのではないか・・?
市内のコインランドリーでたまった洗濯物を洗っているとき、Kさんから連絡が入った。複雑な市内の道筋はわかりにくいので、こちらに迎えに来ていただけるようだ。
いつもは九州内でのツーリングやキャンプで顔を会わせているKさんだが、こうして日本縦断の旅のあとにお会いするのは何か感慨深いものがある。ようやく自分の土地に帰ってきたな、という心持ちがあらためて沸いてくる。この夜は隣の福岡からわざわざ来てくれたKPさんともいっしょに酒をくみかわし、長旅の無事終了と再会を喜びあった。
これから鹿児島までの道があるが、ここまで来ればもはや自分の庭のようなものだ。最後まで気は抜かないつもりだが、やっぱり九州の空気はリラックス出来ていい。
この空気に馴染み、日常の淀みに我慢出来なくなったら、また北へ向かって旅立つ事になるのだろうか・・
それはまだ、わからない。