※文中の()内の数字記号は昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。
宴会の翌朝、少々お酒が残っている様子のエル氏だが、今日もいつもどおりお仕事。こんな朝の出立にはちょっとした罪悪感と、身に余るほどの自由さを感じる。
サムソナイトを携え、ひとり駅へ向かうネクタイ姿のエル氏と別れ、Hg氏とT4氏とともに幹線道路へ。昨日の都内でノロノロ運転を強いられた反動もあり、これから高速道路を使って”ワープ”するのだ。福島県を飛び越えて、うまくいけばお昼時には宮城県に入れる。
さて、今日のお昼は何食べよう。牛タンか辛子ラーメンか・・
R6を土浦方向に北上するとほんの5キロで常磐道・桜土浦インターに達する。カーブの加速Gをグッと心地よく感じながら本線の北上コースに乗ると、高架の上から両氏が手を振って見送ってくれている。こちらも大きく手を振って挨拶。彼らともまた来週末、山中湖畔で再会する事になるだろう。
4速のまま1万7千回転まで引っ張り、シートに腰をすえ直して居住まいを正す。まだほんのり湿り気のある空気の中、6速ギアの巡航速度に乗ってBandit250は軽々と疾走していく。天気は上々・・
いよいよ東北地方へ第一歩を踏み入れるときが来た。
友部SAで給油休憩。時刻はまだ午前9時前。
(関東甲信越:P64/E-1)
バッグにしまおうとした給油伝票をふと見ると「友部SA・下り線」と書いてある。
「あれっ、さっきは確かに北上する方向に入ったのに、なんで下り線なんだ!?」
もちろん東京から離れる方向だから下り線で間違いないのだが、少なくとも今までの道程では北上イコール上り線だったわけで、この馴染みのない方向感覚に、一瞬道を間違えてしまったかと冷や汗が出た。全国を旅するという事は、こういう事なのか・・伝票一枚でなんか変に感心してしまったのだった。
日立市を過ぎ、長めのトンネルを幾つかくぐると、はるか向こうに太平洋の白い波が見える。
(関東甲信越:P83/D-3)
そろそろタンクバッグ内のマップルも東北版に換えなくてはならない。少なくとも来週まではこちらに来る事はないから、とうぶん使わない関東版はナイナイして、かわって取り出すのは東北版だが、これまたブ厚い。北海道版の薄っぺらさに較べると、すごく頼りがいのある印象だ。関東版も厚いが、中部エリアと重複するページも多く、純然と掲載エリアが広いのはこっちだろう。温泉や林道の情報も豊富に入れてあり、編纂者の1人である賀曽利さんの思い入れを強く感じる1冊だ。
福島県のいわき市より南に横断して延びる盤越道に入り、差塩PAでトイレ休憩。時刻は午前11時すこし前。
(東北:P15/B-3)
先ほどから山岳地帯を走っているせいか、ちょっとお腹のあたりが冷え込ん出来ている。南九州ではまず見ないが、このあたりの路肩やパーキングには外気温を表示するデジタルディスプレイが設けられていて、それによると現在の気温は20度。どうりで涼しいはずだ。昨日の昼間、都心部では間違いなく30度以上あったのだから。
しかしもう昼前なのにこれほど涼しいと、夜間野宿するにはちょっとつらいかなと思ったが・・まぁ冬だと思えばなんとかなるさ。気温10度以下の春の阿蘇でもテントで寝てたのを思い出せばいい。
長い直線を下り、阿武隈高原SAにて2度目の給油。次の郡山Jctから東北道に入れば、仙台までは100km少々。平地はお天気がいいのだが、山の上はちょっと雲が厚めにかかっている。猪苗代の安達太良山を左手に見つつ、そろそろ福島とお別れだ。
仙台南インターを降りてから、市内に行くには一個手前だったのに気付いた。まあいいか・・せっかくだから市内観光はあとまわしにして、県道62号を西に走り、近くの温泉地へ向かう事にした。
(これがすぐ後に災いを招く事となる)
(東北:P39/D-4)
ちょっと気が早いけど、ついでに今日の野営地も見つけておきたい。この通りぞいには秋保(あきう)温泉を中心とした温泉街が並び、多くの観光客で賑わっているようだ。キャンプ場もいくつかあるが、出来れば1人でのんびり出来るところの方が気楽でいい。
山にそってどんどん登り、奥へと進んでいく。道もぐっと細くなり、場所によっては片側通行のところもある。道沿いには名取川が流れ、清冽な水が深い淵や瀬になって流れ下っている。秋保大滝まで来るとかなりひなびた印象で、この辺でテントを張るのも悪くない。
ただ気になるのは、先ほども高速の途中から見えた、山手の厚い雲。雨の気配はそれほどないし、まぁ平地は十分晴れていたのだから大丈夫だろうと、高をくくった・・。
「この先にいいところがあるよ」
お米を補充したお店のそばのバス停にいたおばちゃんから、いい情報を聞く。県境の手前に何かの保養センターがあって、そこに泊まるといいだろうとの事。 マップルを見てもそれらしい施設は見あたらないが、まぁ、そういう事は時々ある。(※注6-1)
さきほど登ってきた峠道を気分良く下り、一路仙台市内を目指す。さきほどから道沿いに白い作業服を来た人たちが目立っていたが、 どうやら測量か何かをやっているらしい。位置測定のためか、白く丸いGPS受信器を取り付けた三脚があちこちに立ててある。
「ふーん、俺のといっしょだなぁ」
ハンドルに付けたGPSにチラと目をやる。そういえばGPS受信機同志はあまりくっつけすぎると干渉を起こして測位精度が狂うと聞いた事がある。 バイクの速度で通過するくらいならほんの一瞬。どうって事ないだろうが、ちょっと試してみたい気もする。
しかし、そんな事をボンヤリ考えながら走っていて、前方に三脚で設置してある白いGPS受信機が、いままで見てきたのと形やサイズがやや違うのに気付いたときは、もう手遅れだった・・。
”23キロオーバー、2点。反則金1万2千円”
言葉が出ない。こんなところで、レーダー取り締まりに捕まるとは!
しかし速度オーバーだったのは明らかだし、少々浮かれ気分で走っていたのも否定出来ない。免許証の住所や名前を確認され、黙ってうなずく。 運転者の欄に「無職」と書かれたとき、なぜかとても情けない気持ちになった。
ナンバープレートが鹿児島である事に気付いてか、外にいた年配の警官が何か慰めの言葉をかけてくれたような気もするが、思い出せない。この数日で財政的に余裕が出来、 それを利しての高速道路の旅だったのに、これでプラマイゼロだ。いやゼロどころか、大幅なマイナスだ。気持ちの落ち込みも加わって、やるせない気分になってくる。
でも自分のやった事なのだから、仕方がない。
重い足どりで仙台市街地のスタンドに寄り、給油。時刻は午後3時前・・
そういえばお昼を食べてない事に気付いたが、今はそんな気分ではない。おそらくこういう長旅を続けられるか否かは、精神的ダメージをいかに早く回復出来るかどうかにかかっているのではないか。その点私はまだ1週間も経っていないし、まだまだ初心者の部類なのだろう。
仙台は東北の1都市で、さとう宗幸の青葉城恋唄の舞台とガメラ映画で破壊されたところ、くらいしか印象がないが、これほどの大都会とは想像していなかった。東京と名古屋を除いて、これだけの幅の道路を走った事はない。しかも交通量もかなり多い。駅前に行って、出発前に聞いていた有名な辛子ラーメンでも食べようかと思ったが、荷物をいっぱい積んだキタナイBandit250を、たとえ歩道にでも置けるような雰囲気はまったくない。もとより人混みは好きでないので、写真を撮るだけでおとなしく退散、近くの青葉台公園でひと休みする。
ところで、仙台市はわがBanditオーナーズの創設者であるボス氏のいる街でもある。やや緊張しながら、聞いておいた連絡先にかけてみるが、どうやらボス氏は忙しいようで、ほとんど話が出来なかった。夜も残業で、いつも日付が替わるくらい遅いそうだ。
せっかく仙台まで来たのにボスにお会い出来ないのは残念だが、仕事とあれば仕方がない。来週の山中湖でお会いするのを楽しみにしています、と言い置き、電話を置いた。
しかし・・ここで恥を忍んで本音を書かせてもらうが、ご自宅にお邪魔して夕食でもご馳走になったりして、先刻の金銭的・精神的ダメージ回復を少しでも計れればいいな、などと浅ましい事を心の奥底でチラッと考えていたのだ。
同時に、そんな事は出来ないかも、という気持ちも別の部分にあった。ボス氏は結婚式を間近に控えた身で、何ヶ月も前から公私共に超多忙だと伝え聞いていたし、なんとなればボスは私より遙かに若い女性なのだから。
他人に迷惑をかけないというのは、自由旅行の大前提であると思う。不自由な事も多いが、だからこそ自由を得ようともがく事に意味が出てくるのだ。しかし、どうもここ2日ほどは、他人の好意に甘える癖がついてしまっていたような気がする。初めての東北がこんな事では、ここまで頑張って走ってくれたBandit250にも申し訳ない。
・・まぁ、今日はいろいろあったが、先ほどの清流の懐で、せめて気持ちよく幕営するとしよう。ベンチから起き出し、歩いて公園をひとまわり。杜の都の息吹を胸いっぱいに吸い込んでから、Banditのエンジンをガルンとかける。
時刻はすでに夕暮れに近く。仙台郊外の静かな木立に、並列4気筒のメカノイズが響き渡った。
県道をさっきの場所まで戻るが、もうだいぶ空気が青く滲んで来ている。峠に着くころは日が落ちているかもしれない。一度走った道はなんとなく馴染むもので、細かいカーブや合流点などを体が記憶しているのか、いいペースで走れる。もちろん制限速度には十分気を付けて走る。もう時間も時間だし警官たちも撤収しているだろうが、万が一2度目をやられたら目も当てられない。
しかし・・やはりというべきか、とうとう雨が降り出した。霧雨のようなレベルではあるけど、こういう小雨は意外と浸みるのが早い。路肩にBandit250を停め、急いで雨具を引っぱり出す。二口温泉をすぎ、道は細くなったり戻ったりと落ち着かない。そのうち空も暗くなり、ヘッドライトの光芒にも雨粒の筋がはっきり浮き上がるようになってきた。
とたん、目の前の道がとぎれた!やばい、ここに来てコースミスか・・?
いや、深い森の向こうに細くなりながらも道は続いており、GPS表示や看板もここがさっきの県道である事を示していた。しかし一般車両はこの先通行止めとの表示も出ている。マップルで確認してみると確かにこの先は「平成12年現在宮城県側は通行止め」と書いてある。
『おいおい、勘弁してくれよぉ・・』
ちょっと泣きそうになったが、ふと道路左手を見ると、何やら公民館か研修センターのような建物があるが・・もしかしてさっきのおばちゃんが言ってたのは、ここの事だろうか?
Bandit250を駐車場に入れて、ロビーの中を覗き込むが、人の気配はない。窓にはチラシが張ってあって、この道の向こう側にあるキャンプ場の受付をやっているらしい。
もうライト無しでは走れないくらい暗くなっているし、この先の通行止め区間に分け入るには周囲の雰囲気からして心許ない。といっていまさら来た道を温泉街まで戻る気にもなれない。今日はここの前庭にテントを張らせてもらう事にしよう。
さいわい表の道路からは2段階に低くなっており、いちばん下なら表の道路からは見えないから、誰か通ってもトラブルは最小限で避けられる。ここの職員が朝何時に来るか知らないが、明日の朝は夜明けと同じくらいに出れば大丈夫だろう。
つめたい雨のふりしきる中でテントを立て、ブールーシートをカバーし、食事用の前室を広めに作る。
こんな状況でもせっせとご飯を炊いている自分が、なんだか可笑しくて笑ってしまう。建物のそばにあった水道の蛇口は運よくノブが付けっぱなしになっていて、水に不自由する事はなかった。
しかし、今日は最後までトラブル続きのようだ。秋保の温泉街の出店で買ったピーマンやシシトウなど野菜類はあるが肉がない。神奈川のキャンプ場で作った焼きそばがまた1つ残っていたので、それを晩メシにしようと思っていたのだが、何を思ったか肉のパックを通気性ゼロのメインバッグの底に放り込み、しかもその事自体今の今まで忘れてしまっていたのだ。
袋をあけたとたん、それがもはや食べ物でなくなっているのは明らかだった。蒸し蒸しの東京都内をまる1日走り、ダメ押しで晴天下でさらに1日入れっぱなしにしたのだから無理もない。
しかたなく肉抜き・コショーたっぷりの野菜ソバで胃を満たす。あとは今朝の出発時にT4氏から戴いたコッペパンのパックがあるが、これは明日の朝食にまわすとしよう。食事を終え、しだいに激しくなる雨音を聞きながらコーヒーを一杯。林の奥から聞こえてくるのは、名取川の清流か。そういえばこの旅での野営はみんな川のそばだっけ・・
ランタンのガスが残り少ない。うんと絞って、今日は付けっぱなしにしておこう。携帯は完全に圏外、ラジオもメリットが悪く、雑音だらけなので切ってしまった。枕代わりのヒップバッグから文庫本「人間の土地」を取り出し、ランタンの灯りにかざす。近代的な道具はなくても、夜は楽しめる。携帯やGPSを持たずにこういう夜を繰り返してこそ、ひとり旅の本当の喜びが見えてくるのかもしれない。ダメージの多い日だったけど、得るものも多かった。
さて、明日はどこまで行こうか。