※文中の()内の数字記号は昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。
さて、いよいよ最後の朝を迎えた。これからあとは九州を南下するだけだ・・。
通勤ラッシュで混雑する市内の道を、Kさんの見送りをうけてR10方向に進む。
長崎を除く九州本体はR10とR3で環状に結ばれており、東側をぐるっと巡っているのが終点の鹿児島市まで伸びるR10だ。とりあえず大分方面に向かい、それから阿蘇や久住の山間部を通るか、太平洋の海岸線を行くかは、その時の気分次第で決めよう。
ガソリンを満タンにしたあと、車の群れに付き従って南下を開始する。
(九州:P9/H-1)
時刻は午前9時半、だいぶラッシュも落ち着いてきた。道幅はやや狭くなったが、流れよくペースを上げだす。
豊前松江あたりで見覚えのあるBMWとすれ違った・・いつもキャンプでお世話になってる、大分在住のMさんだったらしい。お互い首を傾げた程度だったけど、やっぱり九州に帰ってきたんだなという実感が、また増してきた。
ある程度は覚悟していたけど、宇佐市に入る手前の混雑ぶりはひどいものだ。下関あたりで味わった排ガス地獄を思い出してしまう。
とうとう我慢しきれず、中津市からR212に折れて耶馬渓方向に転進する事にした。メインコースは湯布院あたりに抜けて、やまなみハイウェイ経由の阿蘇横断としよう。
(九州:P15/E-2)
川沿いを走る道は車も少なく、さっきまでと比べると天国のようだ。ただし時折現れる狭路区間や路駐のおじさんには注意しなければならない。よく交通マナーの悪い県は○○で、などと言われるが、私から見ればこれでも九州はさほど悪いとは感じない。北九州のような都市部はともかく、このあたりではマナー云々という以前に、のんびり走っている人が多いからだろう。車同士ぶつかりそうになっても、なぜかお互い「はっはっは」と苦笑いしていたりする。大雨の中、命がけで蛇行追い越しをかけ続けていた北海道の営業ライトバンなどと比べると、なんともゆったりした印象ではないか。
耶馬渓の目玉、菊池寛の小説のモデルにもなった「青ノ洞門」は残念ながら崩落のため閉鎖されていた。反対側なら入れるようだが、そこまで行くのも面倒だし、対岸から眺めるだけにする。これだけでもなかなかの景観だ。周囲の水田では稲穂も色づき、収穫を待つばかり。
道の駅耶馬トピアでトイレ休憩、荷物のチェックをしたあと、R500で湯布院方向へ向かう。空は半曇りだが、雨はまだ落ちてこない。途中屈曲した狭い峠があるので、早めにクリアしておこう。
院内町からR387に右折し、細い県道をつたって玖珠町に入る。
(九州:P24/G-3)
ここからやまなみハイウェイは真南にあたるが、周辺は自衛隊の演習場になっており、ぐるりと迂回して進む。草原にえんえんとフェンスが続き、そこかしこに設けられた電光掲示板には「実弾射撃中」などと物騒な表示がグルグル回っているが、その横の牧草地では牛がのんびり草を食べ、飼い主のおじさんも軽トラの上でお茶している。
エンジンを切って耳を澄ますと、確かに遠くでごーんと響く音が、時折聞こえて来るような気がする・・
R210で大分自動車道の湯布院インターから水分峠を越えれば、九州に訪れるツアラーが絶賛するやまなみハイウェイの始まりだ。
まぁハイウェイと言っても普通の県道だから、平地の3分の1くらいを除いては速度制限標識もきっちりある。ゆるやかなアップダウンを繰り返しながら、阿蘇の北側外輪山を越えてゆく。全体の標高もそこそこあるので、エアクリーナーの汚くなっているBanditにはちょっと辛いところ。
なぜか私がここを走るときは、今回も含めてあまり天気が良くない日が多い。晴れた日なら高原の爽快な気分が満喫出来るのだけど、小雨でも降ろうものなら、うすら寒いだけの長い長い単調な道としか思えない。おまけに道沿いにあるGSはおしなべて高額なので、なるべく満タンにしてから進入するのがよい。
最高地点の牧戸峠を越えてワインディングを瀬の本に駆け下れば、熊本県。ここからは阿蘇の領域となる
(九州:P32/E-4)
時刻は正午過ぎ、大観峰でお昼をすませたあと、北の外輪山沿いに走る通称ミルクロードを抜けて、大津町からR57へ入る。熊本空港の滑走路下をくぐれば、自宅までは下道で3時間半。阿蘇参り時にいつも使う”通勤路”といってもいい。ゆっくり走っても夕方までには着けるだろう・・
荷に立てた黄色いホクレンの旗をグイと伸ばし、向かい風にたなびかせて、一路、南へ。
1月、札幌のH氏から年賀状が届いた。「また日本のどこかで会いましょう」と、お元気な様子。
今思い返しても、本当に私は北海道まで行ったんだろうか、あれは幻だったのでは、などと思う事が時々ある。たくさんの写真を見返していても、何か今の自分とは違う人間が写っているような気持ちになる。
台風に追われるように走ったり、各地で宿を世話して貰ったり、うっかり警察に捕まったり・・この旅のエピソードを友人に語る事も時々あるのだけど、話している当人がリアリティをあまり感じられないのは、どういうわけか。
とある旅人の旅行記で、千キロ以上も山道を踏破した直後、いまのお気持ちは?と問われて、何も感想が出て来ず言葉に詰まった、という話を思い出す。
私も感動のゴールみたいなのを少しは想像していたのだけど、ぜんぜんそんな気分になれず、着いたらさっさと荷物をおろして風呂に入り、扇風機にあたりながら「鹿児島は暑いなぁ」と思った程度だった。
まぁ、実体験をした後というのは、こんなものなのかもしれない。
TV番組のヒッチハイク企画でもあるまいし、毎日が冒険の連続だったわけではない。ほんのすこし違った形での日常を過ごしてきただけ、と考えればいい。それに北海道まで行ったからと言っても、日本全国をくまなく回ったわけでもない。
(なんて事だ、四国には足も踏み入れてない!)
仕事を辞めて時間を作り、これだけの距離をツーリングして来た事に、今さら妙なステイタスをつけ加えるのはやめようと思う。自分で修理した愛車にまたがり、自分の稼いだ金と時間で、やりたい事をやってきたのだから、それで充分なのだ。何年かして、ここにある写真や日記帳を読み返してみたら、今とは違うものを見つけられるかもしれない。
そしていつかまた、北の大地に立ってみたいと思う。 たかが日本国内、なんとでもなるさ。
わが愛車、12年落ちBandit250は、それまで保たないかもしれないが・・
おしまい
その他、詳細は北上ツーリング時の装備に書いてあります。