私はバイクでのツーリングが好きだ。
いや・・本当にそうなのだろうか?
数週間のあいだ、仕事を定時で終わらせる度量、そしてちょっとした準備金さえあれば(ほぼ)誰でも大型免許が教習所でとれる時代に、いまだ400cc限定免許しか持たず、乗ってるバイクがこれまた11年オチのオンボロ250ccと2種原付。もちろん愛着がないわけではないが、バイク生活への憧憬をすべて託すには不満も多いし、人に「これ何ccですか?」と訊かれたとき、たった250ccでは「スゴイですねー」と言ってもらえないではないか。
友人の多くが大型バイクへと移行し、「やっぱ大型は速いし楽だし、中型なんか乗ってるよりずっと面白いよね」なんて決まり文句を吐くたびに、顔では笑ってても(いや、ムッとしてたかもしれない・・私は考えてる事がすぐ顔に出る)、ココロの中では、
『ふん、何がオーガタバイクだい、所詮金さえ積めば誰にでも買える工業製品ではないか。
速いのは機械であってオマエじゃないんだぜコンチクショウ、
いやそれはビアッジに負けたんじゃない、アプリリアに負けたんですよ』
なんて強がっていたのだけど、ビッグバイクと併走するたび現実を見せつけられてしまう。それでもなぜ私はこの古い250ccにこだわって乗り続けているんだろう?
そうしたとき、ふと思いついたのが『私は旅そのものが好きなのであって、それに使うバイクはちゃんと走ってくれさえすれば、別に大型じゃなくてもいいのさ。むしろ旅をじっくり味わうには、軽くてゆっくり走れる小排気量の方がいいんじゃない?』という”言い訳”。よし、これである程度格好はついた気がする。精神的防波堤とでもいうべきか!
でもこれは全くの出まかせってわけでもないのだ。昔は自転車であちこち走り回るのが何よりの楽しみだった。折しもバイクブームまっただ中の昭和末期に免許をとる時間もお金も十分にあったけど、オリジナルフレームを造り、こだわりのパーツを組み、自分の足で野山を走り回る日々に振り向ける事しか考えなかった。むしろ臭い排ガスと騒音をまき散らして走るオートバイなど忌むべき存在で、自分の足で坂を越え、峠を征服して目的地に至る爽快感は、エンジン付きのバイクなんかじゃ絶対味わえないだろう、バイク乗りどもめざまあ見たかと確信していたものだ。しかしある時、常連だった自転車屋のオヤジがこう言った。
『バイクも車も、趣味でやっているのなら君らの自転車と同じで遊びの手段のひとつにすぎない。汗をかいて苦労している方が偉いなどという考えは卑小だぞ。』
その時はかなり反発したものだけど、よく考えるとオヤジの言うとおりだ。手段こそ違えど目的は同じ、自分の好きな方法で自由に楽しむ事であるハズだから。それから10数年、丹精こめた自転車は紆余曲折あって全部人手に渡ってしまったけど、バイクを乗り回すようになった今でもその気持ちは変わっていないと思っている。それでもココロの中に引っかかっているこの疑問。私はほんとうにそういうものが好きなのか?
今回の全行程6,000kmにわたるロングツーリングは、もしかしたらこれが始まりのきっかけだったかもしれない。