閑静な住宅街の間を抜ける道は広さも普通の舗装路だが、傾斜はかなりある。冬に雪でも降ったら、ちょっとここは車は通れないだろう。途中で直交する道もあったが、矢印看板は見あたらず、そのまままっすぐ坂を上がっていく。
ようやく坂道が終わってホッとした所で、少し広い県道36号にカーブの途中で接続した。
一時停止標識の左側から別の細道が出ており、この角に矢印看板があった。やっぱりさっきの高架下での判断は正しかったようだ。指示どおり広い道に出て直進する。この道をずっと行けばふたたび新幹線の高架をくぐって、川内駅方面に出る事になるはずだ。
北緯31度47分52.2秒 東経130度19分17.1秒 標高31.4m (WGS84)
スーパーだいわの前を通り過ぎると道は一気に下り坂。このあたりは道幅の割には車の往来がかなり多いので気を遣う。途中から歩道が出来ているのでそちらを走った方がいい。
坂を下りきったあたりで、三叉路の左手に矢印看板を発見。しかしこの看板、今までのように道に沿っておらず、左からの岐道に向かって斜めに向けて建ててあるように見える。実はこの三叉路は、さっき高架下で選択に迷ったもう一方の道の出口にあたるのだ。
という事は、こっちの平坦路の方が正しい旧街道だったのだろうか? しかしそれだと坂道の頂上付近にあった矢印看板の意味がなくなると思うのだが。
Uターンして確かめようと思ったが少し迷った。何しろこの坂を自転車でまた登るのはちょっとしんどい・・・もしかしたら道路工事か何かの関係で看板の位置が移動されているだけなのかもしれない。よく見るとこのあたりも歩道部分が新しく拡幅されているようだし、ブロック塀に打ち込んであるものとは違い、このように柱式の看板は土に刺してあるだけだから移動も容易だ。
とりあえずこの後のルートは市街地方向に伸びてゆくのは間違いなさそうだし、あまり気にしない事にした。
北緯31度48分12.1秒 東経130度19分05.8秒 標高13.6m (WGS84)
パチンコ屋の前を通り過ぎると、ふたたび新幹線の高架が見えてくる。高架と言っても川内駅が近いので高さは低い。この駅は新幹線の車両基地も兼ねているせいか、市街地の規模に較べて駅設備がずいぶん立派に作ってあるような気がする。
高架をくぐったら、今度は在来線の踏切がある。この部分は一応JRの路線で川内駅と鹿児島中央駅を結んでいるが、このすぐ向こう側にある川内駅から北は新幹線の完成とほぼ同時にJRから離れて第3セクターの肥薩おれんじ鉄道となったから、ここがJRにおける踏切の終点というわけだ。
踏切を越えて住宅街の合間を縫うように進むと、左手にお寺、右前方に橋が見えてくる。この日暮橋(ひぐらしばし)の右側のたもとに矢印看板があった。ここを渡るともう目の前はにぎやかな市街地だ。
北緯31度48分41.9秒 東経130度18分39.3秒 標高15.3m (WGS84)
橋の向こう側は現在道路工事中で、道もガタガタになっていて走りにくい。夕方のラッシュでいっそう道は混んでいる。
実はこの先の街道のラインがどうなっているかは作者もちょっと知っていて、橋を渡ったところの大きな道からすぐ左の堤防沿いに折れて、そこからビルの合間を抜けて、駅前の昭和通りにある信号交差点をまっすぐ渡った先に、旧街道に関する何らかの目印があったはずだ。
しかし橋を渡ってからそこまでの道案内表示は一切ないようだから、矢印看板だけをアテにして来た人は間違いなくここで迷うだろう。どうもあの看板は肝心な部分で道案内の役を果たしていない気がする。せめてその先の簡単な地図くらいは貼り付けておいて欲しいものだ。
今も工事をやっているこの広い道は、ほんの最近出来たばかりのバイパス路で、以前はこの左に折れた細い道に繋がっていた裏道だったのだ。新幹線開通時の川内駅の大改修といっしょに周辺の道もかなり改修されて、より広く走りやすいようになってはいるのだが、それはあくまで車向けの設計。横断歩道の設置場所や、あきらかに見た目重視で広すぎる駅前通りの歩道幅など、どうも自転車や歩行者の立場はあまり顧みられていない気がする。
いま渡った日暮橋も昔はもっと別の位置にあったらしいし、こうやって昔の細い道は日々新しいアスファルトで塗りつぶされているわけだ。今日ずっと走ってきた薩摩街道が途中で途切れながらも、どうにかこうにか当時のラインを今に残しているのは、もしかしたらかなり珍しい状況なのかもしれない。開発のテンポが激しい都市部ではきっとこれ以上にものすごい事になっているだろう。薩摩街道は当然鹿児島市まで伸びているはずだが、向こうではちゃんと残っているのだろうか?
時刻はもう午後5時前、太陽がかなり西に傾いて建物のすき間が薄暗い。信号で昭和通りを横切ると、正面は上町商店街のアーケード。
この看板アーチの左側の足下に、例の標柱が建っている。
北緯31度48分45.8秒 東経130度18分30.7秒 標高10.9m (WGS84)
ここから先、向田(むこうだ)市街地を突っ切る約800メートルの直線路はおそらく薩摩川内市内の旧街道ではもっともにぎやかな部分だろう。道の両側に飲み屋やコンビニがいっぱいあって、同じ旧街道でも木場茶屋あたりの素朴な道とはまったく違う印象になる。
この向田には殿様ご一行が宿泊した御仮屋という施設があったらしいし、陸路ではなく海路を使う時にはここから川沿いに船で河口まで下り、そこで大型船に乗り換えて東シナ海を北上したともいうから、まさに要衝だ。
通りを端まで進むと、市街地を貫いて流れる大きな川の堤防に突きあたる。堤防に上がる階段のところにもまた旧街道を示す標柱が建っていた。
ところでさっきの商店街の入り口にあった標柱からここまでの間で、この道が薩摩街道である事を示した看板が他にないだろうかと目をこらして往復してみたが、それらしいものは見あたらない。せっかく人通りの多い場所なのに、端っこを見ないとこの道がかつての街道筋だったという事は伝わらないわけで、地元の史跡をアピールする宣伝塔としてはちょっともったいない建て方のような気がする。しかし広告看板のあふれる繁華街の中にあっては、この標柱自体よっぽど注意していないと気付けないものだが・・。
北緯31度49分07.4秒 東経130度18分21.4秒 標高12.6m (WGS84)
堤防の階段を上がると、鹿児島随一の大河、川内川(せんだいがわ)の河川敷に出られる。ここは向こう岸まで川渡しをやっていた場所で、今でもこの周辺は往時と同じく渡唐口(ととんくち)と呼ばれている。
もちろん今の川内川に渡し船はないが、少し下流にある太平橋(たいへいばし)で向こう岸に渡れる。この橋には現代の主要街道であるR3が広大な片側2車線で通っている。
北緯31度49分07.4秒 東経130度18分21.4秒 標高14.5m (WGS84)
太平橋を渡って向こう岸にたどり着くと、ここにも同じデザインの看板があった。こちらの渡し場は渡瀬口(わたせぐち)と呼ばれていたようだ。
先ほどの渡唐口とは真正面の対岸でなく少し斜めに位置しているように見えるが、川の両岸も往時とはかなり変わっているだろうから、昔はこの位置が一番短い部分だったのかもしれない。実は現代のR3も川の両岸からの延長線は直線になっておらず少しズレている。その影響で太平橋も川の上でS字状にカーブを描く構造になっているのだ。
北緯31度49分15.3秒 東経130度18分18.2秒 標高14.5m (WGS84)
川向こうは向田地区だったが、ここからは大小路(おおしょうじ)地区になる。堤防からの細い坂を下ると交差点にさっそく標柱が建っていた。
この後の周辺の旧街道は少々複雑なラインになっていたので、わかりやすく地図と記号で示す事にする。
北緯31度49分17.8秒 東経130度18分17.2秒 標高11.9m (WGS84)
渡瀬口から坂を下って標柱のある交差点をまっすぐ横断して行くと、左手の低いブロック塀に矢印看板Aがある。ちょうど角に森園病院の白い看板が建っているのが目印。その筋から矢印通りに左に入る。
病院の建物の影を道なりに90度曲がりつつ進むと、少し広い道に出る。ここの右側のブロック塀の足下近くに矢印看板Bがある。
ここから左に折れ、そしてすぐR3の信号交差点に出る直前にある筋を、右へと入る。
入ってすぐ、左側の電柱の影、民家の勝手口の横に矢印看板Cがある。
あとはこの指示通り、しばらく直進すればよい。
ルートを少し外れてR3の歩道に出ると、コンビニの前にある大小路バス停のそばに市街地の案内地図板があり、薩摩街道のあった場所が赤い点線で示してあるので、周辺のルートの参考になる。
北緯31度49分21.0秒 東経130度18分08.5秒 標高12m (WGS84)
現代の道ではこのようにカクカクしているが、往時はもっとゆるやかに繋がっていたと思われる。このシケインをクリアすれば、しばらく直進が続く。この道はR3より1本裏手にあたる道で人通りはさほどでもないが、直交する道にR3側からけっこう車が入ってくるので、それなりに注意して走るべきだろう。
この通りを300メートルほど行ったあたりで旧街道が右に折れる場所があるのだが、そこには矢印看板は建っていなかった。では、なぜそこで曲がるのが判ったのかというと、実は冒頭で述べた作者の近所にある矢印看板が、その先に待っているからなのだ。そこに行くにはどうしてもこの場所で右折しなくてはならない。それに先ほどのR3ぞいに設置してあった案内地図板にも、確かにこのあたりで右折するラインが描かれていた。
ここもあらかじめルートの下調べをしておかないと間違いなく迷う部分だ。
問題の右折箇所は、左側にアート不動産と書かれた屋根つき駐車場(というより建物の1階を駐車場にしてある)がある。ここに交差しているやや広い道を右に折れて進む。
北緯31度49分28.3秒 東経130度18分05.2秒 標高11m (WGS84)
そのまま進むとR267へと接する歩道橋つきの大きな五叉路の交差点があり、ここの右側の塀に、最初のきっかけとなった矢印看板が設置してある。
北緯31度49分34.3秒 東経130度18分07.3秒 標高15m (WGS84)
薩摩街道はこの歩道橋のある交差点を直進して、銀杏の木川(いちょうのきがわ)という小川を渡ってすぐ左の筋に入り、可愛小学校(えのしょうがっこう)のある方向へ伸びている。
この角にも矢印看板があったのだが、現在銀杏の木川にかかる久礼橋(くれはし)が架け替え工事中なのでちょっと近づけなかった。一応仮歩道は作ってあり、自転車や歩行者なら渡れるようになっている。
2006年6月19日追記 この部分の通行止めは解除され、矢印看板の位置に変更アリ。
作者の自宅はこの近所だと書いたが、ここの小学校も作者の母校である。通学路として6年間歩いたこの道も社会人になって以来通る機会は滅多になく、ずいぶん久しぶりのような気がする。周囲の住宅はかなり変わってはいるものの、小さい頃によじ登って遊んだ石垣がまだそのまま残っていたりして、何やらミニチュア世界に入り込んでしまったような不思議な感覚をおぼえる。
しばらく行くと小学校の白いコンクリ製の体育館が見えてくる。昔は木造で、壁の上にかかっていた初代校長の肖像写真の手が夜中に動いて位置が変わる、なんて怖〜い伝説があったものだ。建物はすっかり新しくなっているが、あの写真は今もまだ飾ってあるだろうか。
小学校の裏手へと入る細道の角に、薩摩街道に関する看板が建ててあった。これによると、
この先の薩摩街道は学校の校庭を横切っている(つまり途切れている)から、図のように迂回しなさい
とある。
北緯31度49分40.5秒 東経130度18分03.2秒 標高17m (WGS84)
なつかしい匂いの残る体育館裏を進むと、さっきの看板の説明通り、小学校の隣にある川内高校のグラウンドのコンクリ壁が立ちふさがっていた。ここから先は学校の敷地内なので無理に押し渡るわけにも行かないだろう。
北緯31度49分43.9秒 東経130度18分00.5秒 標高17m (WGS84)
迂回路はここから右に左に折れ、コの字型に校庭をよけて進むわけだが、途中に案内の矢印は一切ない。でも学校のフェンスづたいにぐるっと回れば大丈夫だ。
さて、時刻はもう夕方の5時半となった。木場茶屋を出発したのが午後3時半頃だったから、あちこち見て回りながらここまで2時間ほどかかった事になる。休みの日をフルに使えば薩摩川内市の北の市境まで一発完走出来たかもしれないが、街道の詳しい資料を持っていたわけじゃないし、途中のルートで怪しい部分もあちこちあったりして、まあ初トライとしてはこんな所だろう。
もう時間も時間だから、そろそろ帰宅しなくてはならない。しかし明日は午前中いっぱい休めるはずだから、今日の探訪はここまでにして、明日またこの場所からスタートする事にしよう。
それにしても思いつきで始めた自転車による旧街道めぐりだったが、これはこれでなかなか楽しいぞ・・!