ツーリングマップルのページ記号は2003年春以降に発売された新版を基準にしています。
熊本・阿蘇山の中央部にある一大観光名所、草千里ヶ浜。
そこで10年に一度しか開催されないという、オートバイ・ライダーのためのイベントがあるのをご存じだろうか?
これは今から30年前の1979年、写真家の守屋裕司さんがオートバイ雑誌に投稿をしたのがきっかけだったと言われている。
彼はそこでこう呼びかけた。「この夏、バイクで阿蘇の草千里に集まりましょう。もし来てくれたら、私が記念に写真を撮ってあげます」と。
なぜ彼がこんな事を思いついたのか知る由もないが、この呼びかけに呼応し、全国から草千里を訪れた約800人のライダーすべてを、約束通り彼は三日間、朝から晩までかかって撮影。のちに片岡義男が寄稿した詩とあわせて編集し、一冊の写真集「バイク友だち 夏のライダーたちより 草千里'79」としてまとめあげた。
この本のタイトルから「草千里○○」と呼ばれるようになったこの伝説的イベントは、その後主催者を交代しながらも第一回目と同じ「草千里に来たら写真を撮ってあげます」というシンプルなメインテーマを踏襲しつつ、10年に一度の間隔で繰り返されてきた。開催される毎にその規模はふくれあがり、一番最近の1999年(平成11年)では約3,000人もの参加があった。2009年の今年はそれからちょうど10年目、つまり草千里09が開催される年にあたる。
なぜ10年毎なのか?その由来もよくわからないが、たぶん2回目をやったのがたまたま10年後で、以降それが慣例化したのでは・・と作者は推測している。
人生のなかでオートバイに自由に乗れるのは、そう長い期間ではない・・オートバイ乗りなら誰もが本能的にそう感じているはずだ。そんな見知らぬ者どうしが、写真を撮ってもらうという目的だけでオートバイに乗って、はるばる九州の草千里に集まり、ひとときを過ごし、また全国各地に散ってゆく。今日出会った彼らに再び会えるのは、ひょっとしたら10年後かもしれない。その時自分はまだオートバイに乗れているだろうか?また笑顔で手を振れるんだろうか・・。
そんなロマンチシズムを演出するのに、10年というサイクルは実にぴったりではないか。
じつは作者は、10年前の草千里99に現場の撮影スタッフとして参加した経験がある。
1999年の初夏のある日、熊本方面のツーリングからの帰り道に九州自動車道・宮原SAで休憩していた時、グレー/シルバーカラーのスズキACROSSを駆る年配のライダー氏に呼び止められ、こんどの8月末に草千里でこれこれといったイベントがあるから来てみないか、とのお誘いをうけたのだ。
当時すでに草千里99はネット上でも大きな話題になっていたから、地元のオートバイ仲間どうしでツーリングがてら参加してみようかという予定は一応立ててあった。だがこのACROSSさん(草千里99運営スタッフのひとりだった)といろいろお話をしているうち、単なる一般参加だけではもったいないような気がしてきた作者は、その場の勢いで当日スタッフとして個人的に関わってみる事を決め、申し出たのだった。
その年の8月末の土曜日、地元の仲間と連れだって阿蘇のキャンプ場に前泊した作者は、向かいのテントにやはり同じ目的で宿泊していた、他県からやってきたライダーのみなさんと楽しく過ごしつつ、翌日早朝の開会を待った。(※1)
そして翌日、未明からすくみあがるような豪雨と落雷の中で草千里99は始まった。
まだ暗い中、マグライト片手に雨ガッパ姿で駐車場内を歩き回り、会場設営などの準備をしながら、
「やれやれ、こんなひどい天気の中を標高千メートルもある草千里くんだりまで登ってくるやつは、よっぽどの単車バカだな」
などと、最初のうちはスタッフ同士で笑いあっていたのだが、開始時刻間近になると、もう会場前にはオートバイの長蛇の列が出来ているではないか!白い霧の中にどこまでも続くヘッドライトの列、後ろの端は全く見えない。
「こいつら・・いったい何人いるんだ?」
この時、体を貫いた衝撃、恐怖と喜びが入り混じったような不思議な高揚感は、10年たった今も、ありありと思い返す事が出来る。
それからは嵐のような忙しさが待っていた。ビニール袋と輪ゴムでやっつけの雨対策を施した一眼レフをかかえ、あとからあとから、潮の如くやってくるライダーを片っ端から撮りまくった。
作者が当日持ち込んだのはミノルタ製のα507siという、さほど大型でもない普及品のフィルム式一眼レフカメラだったが、この日ばかりはとても重く大きく感じ、ストラップが首に食い込んだのを憶えている。当初はスポンサーサイドから最新のデジタルカメラを貸与してもらえるはずだったが、折からの悪天候による浸水故障を懸念してか、当時かなりの高額商品だったデジカメは出してもらえなかった。
撮影助手とペアを組み、会場内を右へ左へと駆け回り、本部から次々支給されるフィルムのパトローネを何度も入れ替え、昼時の食事休憩をのぞいて朝から夕方までほとんど立ちっぱなしでとにかく撮りまくった。
当日の撮影スタッフは15〜20組あまりいたはずだが、いくら撮っても長蛇の列は途切れない。開始直前まで降っていた大雨はいつしか霧雨となって上がり、ついには暗雲とともに草原の向こうに消え去り、白い雲間から太陽が輝くまでに天候が回復してからは、直射日光との戦いになった。
雲が頭上を流れゆくたびカメラの露出系数もめまぐるしく変化し、時折会場内に迷い込んでくる牛にも気を遣いつつ、リラックスするヒマなどない。積み重なる疲れのせいで、相方のアシスタント氏とちょっとした事で言い合いになったりもした。だが順次撮影をすすめていくうち、少しずつ余裕も出て、参加者との会話を楽しめるようになってきた・・。
いつしか夕方を迎え、いよいよ最後の参加者の撮影が終わった時、スタッフたちから大きな歓声が沸き起こった。
そして言葉ではちょっと言い表せない、巨きな達成感を感じている自分がいた。記録によれば、来場者総数は3,000人を越えていたという。
「ああ、もし10年後の2009年の夏に、またこの場所にオートバイで来れたとしたら・・」
またこうやっていっぱい撮ってあげたいなぁ・・と言いたい所だが、正直なところ、
「もう二度とこんなしんどい撮影するもんか!いち参加者として来る事はあってもスタッフなんかには絶対加わるまいぞ!」
と、ココロ密かに思ったものである。
もし草千里99写真集がお手元にあるなら、239ページ下段をご覧いただきたい。当時の愛車カワサキKDX125の前で、撮影終盤を迎え、疲れきってハイになって地面に寝転がっている作者の若い顔が見られるはずである。
ところで『人間は忘れる事が出来る才能を持った生き物である』と言ったのは誰だったろう。じつに見事な格言だと思う。かつてどんなにひどい目に遭ったとしても、10年もたてば辛く苦しかった事など奇麗さっぱり忘れてしまい、なぜか良い部分だけが残っていて、ひとたびお誘いがかかれば、またいそいそとカメラ片手に出かけていってしまうものなのだ・・。
実のところ、草千里09が本当に開催されるとは、作者は思っていなかった。この定期イベントはどこかの出版社とか興業会社が商業企画としてやっているわけではなく、単なる有志の集まり〜つまり毎回どこかの誰かが自主的に手を挙げて各地から集結し、手弁当のボランティアで力を合わせつつ精神的な継承を形にしてきたにすぎないからだ。
これだけのイベントとなるとそれなりの人手やお金がかかるし、関係各方面への調整作業も大変で、作者が仲間内で毎年春秋の二回やっている大観峰コーヒーブレイクなどとは規模が違いすぎて比較する気にもならない。
今回の草千里09も前回と同じ関西のグループが中心となって取り仕切るようだが、前回は最終的にかなりの赤字を出したと聞いている。とくべつ参加料や撮影手数料を徴収するわけでもなく、写真集の購入希望者からのみ予約代金をいただくだけで、あとはスポンサーからの広告収入とわずかなグッズ販売のみで賄わなければならない。
当日の撮影会場の仕切りはもちろん、膨大な写真を現像仕分けして編集、レイアウト、製本して参加者への個別発送まで・・。これじゃ赤字運営も当然と言えば当然で、収支がトントンになった事すら第一回目から今まで一度もないらしい。
それなのに、また彼らは草千里まで大量の機材とチームを率いてやってくるというのだ。次こそ何か勝算があっての事か、それとも作者と同じく忘れる才能バツグンな連中ばかりなのか(笑)・・ともかく地元九州のいちライダーとしては、彼らの心意気にふたたび何らかの形で応えたい。前回同様微力ながら現場のお手伝いをさせていただく事にした。
ところで、問題はお金以外にもある。10年前の混雑ぶりもすごかったが、個人間の情報交換網がいっそう発達した現在、参加者もずっと多くなるであろう事は想像に難くない。それに加え、麓から草千里まで続く三本の登山道は1999年時点では840円(原付は120円)もとられる有料道路だったが、翌2000年春に無料化されて以降、通行量もかなり増えた。おまけに最近では休日千円乗り放題のETC割引も始まっている。
一方で草千里駐車場のキャパシティはこの10年間何ひとつ変わっていない。撮影会場を分散させたり、いっそメイン会場を別の場所に移す案も出たようだが、やはり集まる場所は草千里でないと!というみんなの強い思いから、前回と同じ草千里で開催する事となった。
そのかわりメインの草千里とは別にサテライト会場をもうけ、そちらで関連イベントを開催し参加者を分散、撮影済みの人がいつまでも駐車場を占有する事がないような工夫を考えた。誘導も強化され、携帯やトランシーバーなどの機材を利用してのスムーズな運営を心がける事とした。
実は前回の草千里99での誘導係はマイクも何も持っていない人がほとんどで、一日じゅう大声を張り上げていた結果、終盤には声が出なくなるほど消耗してしまった人もいたのだ。
撮影班でも事前にネット上でいろいろ打ち合わせを行い、なるべくスピーディーで確実な作業になるよう考えた。草千里09は撮影機材にデジタルカメラが本格投入される最初の回であり、フィルムと違って現像が不要で撮影枚数も飛躍的に多くとれる反面、静電気や操作ミスなどのちょっとした事で大量のデータが一瞬にして消えてしまう危険性がある。
これを出来る限り避けるため、参加者を10組程度撮影するごとにメモリーカードを抜き取る。一枚のカードに何百枚もため込んだりはしない。そして個別に本部に持ち込んでホストコンピュータに吸い上げ、ミラーリングされたハードディスクに撮影単位毎に別フォルダで保存。もしデータ欠損が発覚しても最小限で済むし、会場内に呼び出しをかけて運が良ければ再撮影が可能となる。
前回の草千里99では一部のカメラにメカトラブルが発生していたのが後日発覚し、失われたネガを補填するため相当数の当該参加者に呼びかけて再撮影をする羽目になった例もあったから(草千里99写真集184〜195ページ参照)、データの扱いに関しては神経質ともいえるくらい慎重に決められた。
開催時間は朝6時から夕方6時までだが、屋外でこれだけの長時間にわたってカメラを振り回し、個別の人物撮影を何百枚もこなした経験のある人はめったにいないだろう。作者は一応10年前に経験済みではあるが、あの時はバッテリー容量をさほど必要としないフィルムカメラだった。現在のデリケートで複雑なデジタルカメラでそこまでの長丁場を経験した事はないし、当然バッテリーがどこまで持つかもわからない。いくらカタログに800枚とか千枚の連続撮影が可能と書いてあっても、実地でやるとそれより低い値になるのが電気製品の常だからだ。
よって撮影スタッフ個人レベルでもそれなりの準備が必要となる。一番肝心な写真撮影が続けられなくなる事態は絶対避けなければならないので、スペアの専用バッテリーパーツを何本か追加購入し、メモリーカードも先に書いたデータ回収手順を踏むからにはある程度の枚数が必要となる。
これらをメイン用とサブ用のデジタルカメラそれぞれに対策する事で、おそらくこのイベントが終わったら、ほとんど使う機会もないであろう機材に万単位の出費をする事となったが、これも10年に一度の大イベントを成功させるための努力事項のうちである。
そしてついに、2009年8月最後の週末がやってきた・・!
(※1) 他県からのライダー
余談ながら、この時いっしょに過ごした他県ライダー氏の1人が書かれたツーリングレポートが、なんと当時のアウトライダー誌に掲載されている。もしバックナンバーを持っている人がいたら、チェックしてみて欲しい。