※文中の()内の数字は、昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。
田尻を出て数100m、右手に登りの分岐路が見えてくる。ロードパークよりもさらに細い道だが、こちらに進めば大泊の漁港を通って最初のゲート横に出られる一般道だ。途中の坂はバイクでもかなりきつく、車では離合出来ないほどの狭い箇所もあるが、規制に縛られていない道は、走っていて気持ちが良い。
ふれあいセンターの前を通り、港から大迫小学校のわきを抜ければ、あっさりと第1ゲートの横に出てこられる。佐多岬からの帰路、もしあなたがロードパークのクネクネ道や暗闇トンネルに辟易していたら、こちらを通って帰ってくるのもいいだろう。距離がずっと短いので、時間的にも早く着ける。
佐多町内の山間道路では、あちこちで道路の整備工事がさかんに行われている。山をつらぬくトンネルも作られ、1,2年後にはさらに走りやすくなっているだろう。一方ロードパークは企業の観光施設、採算の見込みもなく保守費用のかかる厄介者は早晩切り捨てられてしまうかもしれない。もしその時が来たら、本土最南端はいったいどうなってしまうのか。
いっそ人工物はぜんぶ取り払って、派手な植木も抜いて、北海道の知床岬みたいに自然のままに戻す。北海道と違ってヒグマに出くわす心配もないし、南端に行きたいやつは林道をかき分けてでも進めばいい。そのかわり何かあっても責任は個人で持つ事!・・なんて、こういう欧米みたいにワイルドで実力主義な観光名所がひとつくらいあってもいいんじゃないだろうか?
山川〜根占フェリーが運航をやめてそろそろ1ヶ月、地元のニュースでも、佐多岬の話題は出ない。正直なところ、私も含め多くの鹿児島県民はこの最南端の岬にそれほど関心を持ってないと思う。最南端の県に住んでいて、さらにその端にある”有料駐車場”に休日をつぶして出かける事に、どれだけの意味があるというのか。
統計では鹿児島県への県外からの観光客が何年かぶりに増加したそうだ。それも2割程度とかなりのアップ率。昨年の同時多発テロの影響で国内旅行の需要が一時的に高まったとする説もあるけど、隣県の宮崎や熊本と比べても観光商売下手な鹿児島県は、これを契機にさらにふんばって、リピーターを増やしてほしいものだ。
そうすれば最南端の処遇も(まぁ今回は悪口ばっかり書いたけど)よりよい方向へ向かうかもしれない。
今の佐多岬には特別なものは何もない。美しい海と空をバックに、最南端からの眺めがあるだけだ。
昨年の初夏に根占の海岸で出会ったH氏を思い出す。あの人は最南端への想いだけを胸に、はるか札幌からここまでやってきたのだ。旅人の胸にある、ここ最南端への熱い想いを裏切るような事にだけはなってほしくないものだ。
おしまい
2002年9月30日追記 この日でいったん廃止された。その後もフェリー航路存続の道を求めて、第3セクター方式などを視野に入れ、自治体と企業グループ間で折衝が続けられていたが、10/25時点で企業グループ側から”3セクへは不参加、フェリー船は他へ売却”との通告があり、存続問題はまたもや暗礁に乗り上げた形となった。
2006年1月13日追記 あれから紆余曲折あり、2005年12月より半年間の期間つきながらフェリー運行が再開された。しかし将来的にどうなるかはまだ未定のもよう。
2006年6月6日追記 2006年5月17日付の地元紙報道によれば、山川〜根占フェリーの運航期間は2006年11月6日まで期間延長されたとの事。その後はフェリー船体を県が買い上げて企業側(岩崎グループ・鹿児島商船)にリースする形で航路継続させるなどの案も出ているが、まだ決定ではない。
2006年10月21日追記 岩崎グループは鹿児島県、指宿市、南大隅町との協議に合意、フェリー本体は両市町が購入して岩崎側にリースする形で運航も委託、山川〜根占両港に岩崎が所有する土地と施設は県有地と交換する形で県が取得する形となり、同年11月1日より新しい体制が始まる。これにより当面は運行停止のような状況は回避されると思われる。運航は平日4往復、土日5往復となる見込み。経費を抑えるため平日は現在より1往復の減。
2007年4月26日追記 佐多岬ロードパークはこの日をもって廃止され、大泊の第1ゲートから田尻の第2ゲートまでの約6キロの区間は町道として南大隅町(旧佐多町)へ寄付された。これにより第1ゲートから道路終点の駐車場まで、全線に渡って無料化、自転車や徒歩での通行も自由に出来るようになった。第2ゲートから先は時間制限あり。終点の駐車場から展望台への遊歩道は従来通り有料。
(参考・自転車漕いで佐多岬 2007年5月2日)