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自転車復活の秋

その1

自転車がほしい!

特に詳しい事情は書かないが、作者は現在失職中の身である。といって全くのヒマというわけではなく、次の職探しやら何やらでそれなりに忙しい日々を送っているわけだが、やはり安定した生活の基盤がない事には、何をやるにもモチベーションが上がらないものだ。

そんな日の午後、いつ録画したかも覚えていないTV番組の雑録画テープをボンヤリ見ていたら、日テレの「鉄腕DASH」という番組内で、小島の高台に自転車を持ち込み、そこからペダルを一切漕がずに(つまり坂道の惰性のみで、足を地面に着くのも禁止)海岸線までいかに早く出られるかを競い合う、という企画をやっていた。今までも似たような企画はあったと思うし、さほど気にも留めなかったのだけど、よく見るとタレントの乗る自転車(マウンテン・バイク)は私が知るものとはかなり異なったパーツ構成になっているのに気付いた。ハンドルやブレーキレバーの形状、固定ネジの付き方もまるで違う。フレームの前後には衝撃を吸収するサスペンション構造があり、ブレーキに至っては小径のディスクやキャリパーとおぼしきものさえ見える。そういえば先年の開聞岳でやったクリスマスキャンプの時、同じ県内に住むH氏がこれと同様にかなり進化した形状のマウンテン・バイクを持ち込んでいたのを思い出した。

「そうか、今の自転車はこういう形が主流になりつつあるんだ。こういうのも面白そうダナ。」

昔の愛車

作者はここ10年ほど、オートバイをメインにツーリングその他であちこち乗り回しているが、ハタチ前後の頃はとにかく自転車漬けの毎日だった。今でこそカラフルなジャージを着てロードレーサーやMTBを颯爽と走らせる人は街中でもよく見るし、個人の趣味としても一般的になっているが、当時はまだその手の競技用自転車=競輪・ギャンブルという図式が支配的だったし、トライアスロンも国際規格の運用が始まって間もない頃で国内的にはまだ珍スポーツの域を出ていなかったと思う。水泳、自転車、マラソンの3競技で一流になれなかったあぶれ者がやるものという偏見が公然と語られていた程だ。少ない情報の中、唯一NHKがやっていたツール・ド・フランスや世界選手権の特番を、同じ趣味の友人連中と一緒に食い入るように見たりしていた。

こういう状況で、会社の通勤に極細タイヤのレーサーにまたがり、流線型ヘルメットなんぞかぶろうものなら、もはや通行人は異星人を見るような目つきとなり、背後でヒソヒソと言われているのが背中に感じられる事も度々だったが、むしろそれは快感でさえあった。人間の脚力だけでクルマに拮抗出来る速度を出せるなど、レーサーの軽さを知らない人にはおそらく信じられまい。渋滞や一方通行の多い都市部では自転車の方が速い、という逆転現象さえ起こりうる。ガソリンやオイルもいらないし、いざとなれば車輪をたたんで袋に詰め、電車に乗り込む輪行という裏技も使えるから、ちょっと隣町まで飲みに行ったり、旅の道具としてもおおいに利用したものだ。

だが現在作者の手元には、その手のスポーツ用自転車は1台も残っていない。事故で潰してしまったり、これまた紆余曲折あって人手に渡ったりしたのだ。むろん故あっての事だし今さら後悔などしていないが、もしあったらきっと楽しいだろうなぁと思う。維持費もオートバイなどよりはるかに少なくて済むし、排ガスも廃油も出さないから環境に優しい。

何よりも精神的にちょっと困窮している今の状況で、自分の足だけでどこにでも行ける力を得る事は、ある意味生活力を取り戻すための自信回復につながるかもしれないし、その自由さ、力強さが今の自分にとって何物にも代え難いような気がして、しかたがないのだ。

とにかく何でもいいから自転車に乗りたい、だが昔の愛車たちはもうない・・とくれば、手元にあるものでなんとかするしかない。さいわい我が家には買って10年近く経つのにほとんど乗っていないママチャリが1台と、その他に中古のホイールや各種パーツが2,3セット分は転がっている。以前友人たちの頼みで古いママチャリの再生作業、早い話がニコイチを何回かやった事があり、このパーツ群はその残滓なのだ。今でも道具さえあればベアリングやスポークニップルの1つまで完全分解し、再調整を施してキッチリ組み立て直すくらいの自信はある。最新のレーサーはちょっと特殊な構造になっているので手に負えないかもしれないが、ママチャリならおそらくここ10数年間は基本構造は不変の筈。腰や腹は重たいが、一度その気になったら動くのは早い作者はさっそく使い古した軍手をはめ、ガレージ代わりのパイプ車庫内で、毎夜の作業にとりかかった。


蘇るママチャリ

分解修理

長く使い込んだママチャリは、まずベアリングがイカれてくる。そもそもの品質がよくないのに加えて、毎日毎日乗り回したあげく雨ざらしで放っておかれる割には、ロクに給脂もしてもらえないものが大多数だからだ。じゃあメンテはどうすればいいのかというと、機関部の分解にはこれまた特殊な工具がいくつか要る。値段的には意外と安いものばかりだが、その辺のホームセンターにはちょっと売っていない。しかも心臓部分のベアリングは最新のものを除いてほとんどが単純な開放型構造で、調整(アタリ)はすべてネジ同志の微妙な締め具合によっているから、ちゃんと動かせるようになるにはある程度の慣れを必要とする。身近な乗り物の割にこういった構造の特殊さが、自転車本体の寿命を縮めてしまっているようにも思う。もっとも今や1万円台でポンポン買えるママチャリなど、壊れたら捨てる消耗品の部類になっているのかもしれないが・・。

昔使っていた工具を引っぱり出し、ペダルを外し、クランクを抜き、クランクシャフトを抜き出す。案の定ベアリング内部は真っ茶色で、片側などシャフトを抜いた瞬間にリテーナー(ベアリングの小玉群を内部で支持しておくリング状の金具)が腐食に耐えきれずにバラバラになってしまった。パーツ箱から程度のよさそうなものを見つけて交換し、玉押しやワンの虫食いも可能なら交換、無理そうな部分はリューターで軽く研磨して気休めとした。前後車輪のハブもチェックし、同じように交換してグリースを詰め、調整して締め込む。ヘッドパーツ(ステアリングの回転部分)も傷んでいる部分は捨てて打ち替え。ここは専用工具がなくてもマイナスドライバーとプラハンマーを駆使すれば、あっという間に出来上がる。

一番厄介だったのはシートピラー(サドルの支持パイプ)で、ここが上下してくれないと座る位置の調整が出来ない。現役のママチャリでも錆びついて動かせなくなっているものが多いが、ほとんどの原因はすき間から内部にしみ込んだ雨水。中で錆びが発生して膨張し、パイプ同志がしっかりと抱きついてしまうからだ。少しでも回せれば、それをきっかけにしてグリグリと抜き出せるのだが、ママチャリクラスの安価なシートピラーは普通の鉄パイプにステンレスの皮を被せてあるだけのものが多く、プライヤーなんかで直接わし掴みにすると表面が裂けてしまう事もある。

まずフレームの割り部分のすき間からCRC556などの浸透潤滑剤をたっぷりブチ込んで、ひと晩そのまま放っておく。翌日には潤滑剤が奥まで浸透している頃合いだから、あとはひたすら神に祈りつつ回すのだ。裏技としてママチャリのシートピラーはたいていハンドルバー中心のクランプ部分と同じ直径1インチ=2.54センチ)なのを利用して、不要になったハンドルステムを噛ませてプラハンマーで回転方向にコツコツ叩けば、表面もさほど傷まず、案外簡単にクルッと回ってくれる。

その他、タイヤを換え、虫ゴムを新品にし、チェーンもつなぎ直し、各ワイヤーにたっぷり注油して、なんだかんだで走行可能状態に持っていけたのは作業開始後5日めの事だった。さっそく近所をゆっくり走ってみるが、少しチェーンのたるみが多くてペダルを踏み込むたびにチェーンケースをパシン!パシンと叩く音がする。中型オートバイの520サイズチェーンに比較するとまるで針金のような細いチェーンの事、張りのレベルをもうひとつ思い出せていなかったようだ。その他、時々カリッと引っかかるような感触が靴底に伝わってくるものの、ペダルもまあまあ良い感じ。何より内装式の3速ハブギアが長期の雨ざらしにもかかわらず生きていてくれたのはうれしい。これでしばらく乗ってみて、様子を見る事にしよう。


走る!

それから1週間ほどの間、市内の移動に限ってはほぼこのママチャリ1台で済ませるようになっていた。これはいい!何だかとても気持ちいい。自転車がこんなに快適なものだったとは、久しく忘れていた事だ。途中坂道を力一杯立ち漕ぎしている最中にハンドルステムが折れるという珍事に出くわしたが、これはパイプの根本が腐食していただけのようで、ステムのみ中古品に交換して再び走り出す事が出来た。

キー

さて、いくらギア付きとは言え所詮はママチャリ、そうスピードも出せないし、ロードレーサーのような快適性など望むべくもない。これは運転者側にも言える事で、でっぷりとたるんだ腹や太腿にはかつての脚力はハナ毛程も残っていないだろう。それでも昔取った何とやらの思いは断ち切りがたくある。

そこで、いつもBandit250のエンジンや車体の調子を見るのに使っている周回コースを走って、きちんとタイムをとってみる事にした。コースと言っても近場の道路を自動車学校の検定コースのように各種条件を考慮して繋げ、勝手に作っただけなのだが、Bandit250でたっぷり100回以上は走って路面状況はバッチリ頭に入っているし、トータル距離も10キロとGPSを使って正確に設定してある。途中には長い登り坂やデコボコ道もあり、おそらくママチャリではかなりしんどい筈だが、中学高校時代の作者はほぼ同じレベルの自転車を使って、ここ地元の街から県庁所在地までの約50キロを2時間半から3時間で走って遊びに行っていた。つまりこの10キロを30分ほどで走れれば、あの当時と同じペースという事になる。

折しも先日はるばる我が家まで自転車で訪ねて来てくれたH氏が(それも最新式の超軽量ロードを駆って、だ。先年の開聞岳で披露して貰ったマウンテン・バイクとはまた別のもので、この人はオートバイでもイタリア製の900ccマシンを所有しておられる。実にウラヤマしい)、往路でそれくらいの時間を要していた事から、これに準じたペースを掴む事が出来れば、体力的にもあの頃に還れるかもしれない・・などと淡い期待を抱きつつ、いざ路上に躍り出した。

結果はもちろん期待を裏切り(予想はしていたが)実に無惨なものだった。長い坂道を前に、一番軽いギアにしても踏み込む事が出来ずにサドルから降りて歩いてしまったり、立ち漕ぎの姿勢が維持出来ずに無駄な座り漕ぎを繰り返したり・・その後の下りを終えた頃にもまだ心臓の激しい鼓動は治まらず、ちょっとした坂でも息も絶え絶えと、ようやく自宅に着いたときのタイムは40分を大きく越えるという体たらくであった。

ペダルを踏めない、足が動かない・・元自転車小僧にとってこれは実に屈辱的だ。なんとか誇りを取り返す道はないものか?