ツーリングマップルのページ記号は2003年春以降に発売された新版を基準にしています。
このあたりのR226は、低くなだらかな盛り上がりがゆったりとうねるように続き、なんとなくではあるが北海道を走っているような気持ちになる。お空の方は昨日とあまり変わらず、雲も多め。しかし雲間から時折陽が射し、気温もさほど低くない。昨夜のキャンプ場ではわずかに雨が降ったりしたが、ほんの小雨程度で済んだし、これからも心配は無用だろう。
やがて正面に西大山駅を示す黄色い看板が見えてきた。以前はこのような案内など何にもなかったので、捜し出すのに苦労した人も多かったらしい。というのは、ここいらの駅は畑のまん中にポツンとあり、短いホーム1本と駅名を書いた看板が立っているくらいで、遠くから見ると一体どこが駅なのが全然わからないのだ。
ツーリングマップル九州P.62開聞岳2-J 旧版P.85開聞岳1-F
国道から線路に向かう坂を下ると、あいかわらずの素朴な駅がそこにあった。敷地内には簡単な屋根付き駐輪場に古びたママチャリが2,3台と、ホーム周辺にカラフルな花を植えたポットがいくつか置いてあるくらいで、あとは特に何もない。ホーム中央にあるJR日本最南端の駅と書かれた立て看板が、唯一ここの由来を示してくれている。
ホームの端には別の柱状看板があり、その向こう側に開聞岳がよく見える。この柱は明らかに山との位置関係を意識して立ててあると思われ、観光客もたいていここで開聞岳をバックに記念写真を撮ってゆく。今日はあいにく薄曇りだが、晴れていればまるで絵はがきのような景色を眺める事が出来るのだ。
ここはちょっと前までは文字通り日本最南端の駅だったのだが、2003年沖縄にゆいレールというモノレール路線が出来たため、日本最南端ではなくなってしまった。ただし沖縄のは私鉄なので、JRとしての最南端駅は今もこの西大山駅になる。だから看板の頭に赤文字でJRとただし書きを入れてあるわけだ。上のリンク先の写真で柱にJRの字が入っていないのは、ゆいレールが出来る前に撮った写真だから。沖縄の路線はモノレール方式である事を理由に、今もここが鉄道の最南端だと言い張るマニアもいるらしい。
さて、列車が来るまでまだ時間はある。自転車を輪行袋に詰め、荷物もザックにまとめたら、ホームに腰掛けてスケッチでもしてみよう・・。
ザックからスケッチブックと色鉛筆、筆箱を取り出して、筆ペンでざっくりと輪郭を描いてみる。普段はBの鉛筆を使うが、気分次第でいろいろ試してみる事もある。着色は12色のステッドラー水彩色鉛筆。安いセットだから色数がちょっと少ないものの、重ねてこすったりすれば何とでもなるし、胴体内に水が内蔵された水筆ペンを使えば、水彩画に必要な水入れを別途用意しなくてもいいので、どこでも自由に絵が描けるこのシステムがけっこう気に入っている。
いい気分で色付けをしていると、駅の敷地に何台か車が入ってきた。人目があるとちょっと描きにくいものだが、あわててしまい込むのも何だがシャクなので、知らんぷりしてそのまま描き続けた。
こっちが絵を描いているのに気付いているのかいないのか、みんな落ち着きなくホームを行ったり来たりしている。柱の前でお互いの記念写真を撮り合うアベックに、なぜか1人で来て周辺の写真をとりまくっている白塗りクラウンのオジサン、あと妙によそよそしい会話の男女連れ・・など、つい耳や目の端っこで観察して情報を集めてしまう。知らんぷりするのもなかなか集中力が要るものだ・・。
そのうち誰かにシャッター押しを頼まれ、はいチーズなどとやっているうち、開聞岳のすそ野あたりから上り方向(指宿・鹿児島市方面)の列車がゴトンゴトンと現れた。ご存じの通りこの路線は1日にそう何本も走らないから、みんなここぞとばかりに撮りまくる。中にはわざわざ列車を降りて、看板の前で記念写真を撮っている乗客もおり、こんな素朴な駅ではあるが、なかなかの人気ぶりのようだ。
上りの列車がズダダン、ズダダンと畑の向こうに行ってしまうと、あんなにせわしなく動き回っていた連中も潮が引くようにどこかへ消えてしまい、ホームには作者ひとりだけが残された。
ようやく枕崎方向への列車が来たのは、それからどれくらい経った頃だろう。ドアが開いて自転車とザックを乗せ、前の方にある広いスペースに斜めにして置き、ズレないようストラップを柱に通しておく。ワンマン運行なので、乗り合いバスと同じく乗車口にある整理券を1枚取っておくのを忘れてはいけない。
ゴットン、ゴットンと腰に来そうな音を響かせ、列車は西へと走り始めた。指宿枕崎線に乗るのは2,3年ぶりだが、あいかわらずの古めかしいボックスシートで、観光地によくある新車をわざとレトロチックにお化粧し直したのとはまったく違う、生活感のある匂いがする。今日は日曜だが、登山口のある開聞を除いて、途中の駅で乗り降りしていたのはほとんどが中学か高校生だった。運転手さんに向かって定期券をサッと見せ、いかにも慣れた感じでホームへと降りてゆく。人数もそう多くないから、たぶん運転手さんはどの子がどこで乗って、どこで降りるのかがなんとなくわかっているのだろう。
時にカーブ手前で大きく横に振られたり、減速ブレーキのキーキー音にちょっと不安になったりしながらも、列車は東シナ海沿いにずんずん進む。先ほどコンビニで買い込んだおにぎりなどを頬張りながら、だんだん近くなる終着駅を前に、残り少ない列車移動タイムを満喫。そして西大山駅を出発してから1時間もしないうち、終点の枕崎駅に列車は停まった。
ツーリングマップル九州P.59枕崎6-B 旧版P.81枕崎4-G
枕崎駅はつい最近、それまで駅舎のあった位置からほんの少し南に移動されたらしく、まるで工事現場の足場のような、鉄骨むき出しのホームしかない単純なものに変わり果てていた。元の駅の場所にはスーパーが建つとの事で、日曜でも工事用車輌がせわしく出入りしている。
さて、自転車を組み立てて荷物を積み込み、ここから昨日とは逆方向の北上コースを進む。時刻はちょうど午後1時になったところで、75キロ彼方の自宅まで、夕方までに着ければ上出来だろう。
・・とその前に、港にある特産品ショップ・お魚センターで名物のかつお節を買って行かなくてはならない。もし立ち寄る時間があったならと、出発前に家族に頼まれていたものだ。正直これ以上荷物を増やしたくはないが、せっかく枕崎まで来て手ぶらで帰るというのも申し訳ない。お魚センターで手早く買い物を済ませ、なるべく背中に近いザックの奥底に押し込むと、今度こそ北上開始である。
R270は昨日とはうって変わって路面も乾いており、上り坂である事を除けばかなり走りよい道筋。しかしヒザの調子はかなり悪く、ローギアを使う時間がかなり長くなってきている。休憩の回数を気持ち多めにしながらも、じりじりと標高を上げながら峠部分に近づいてゆく。
かなり汗だくになりながらも、どうにか峠に到着。停まろうとして左足を地面に付くと、瞬間ズキッと傷みが走った。右側ばかりかばっていたせいか、今度はこっちの方にツケが回ってきたらしい。交互に缶ジュースで冷やしながら、ベンチで足を伸ばしてリラックス。そんな姿を見て、近所の人らしい原付のおばちゃんが「坂がきついから大変だよねぇ」と声をかけてくれた。
「そうですね、でもここからは下りだし、頑張りますよ」
「気を付けて走ってねぇ」と笑顔で返してくれるおばちゃん。しかしその後「どこまで行くの」と聞かれ、ついうっかり、
「ちょっと川内まで」
ともらしたら、はぁ〜すごいねー、と口では言っていたものの、何考えてんだコイツ的な表情を一瞬したのを作者は見逃さなかった。でも無理はない。南薩地域と作者の地元の間では人的交流も少ないし、実際の距離以上に相当な距離感を持たれているようだ。
屈伸運動してヒザの状態を確認したのち、少しばかり荷を自転車側に振り分けてザックを軽くしてみた。ここから先、しばらく大きな峠はないが、吹上浜の自転車道を終えた頃にはちょっとした連続アップダウンもあるから、それに備えて少しでも負荷を減らしていこう。
南さつま市の中心市街地に入ったあたりで、いやなものが目に入りだした。
反対車線ですれ違う車の屋根やトラックの幌が、びっしょりと濡れているのである。見ると確かに厚めの雲が海側から張り出していて、ずっと向こう側の海岸線あたりは白く煙っているように見える。
「これはちょっとマズイなぁ・・」
国道沿いよりは起伏の少ない自転車道をまた走るつもりでいたが、夕立が通過中とあっては入りたくない。あそこは晴れている時こそ快適だが、雨水の排水を考えて作られてないせいか、ちょっと多めに雨が降ると道がたちまち簡易水路と化し、場所によってはとても走れた状態ではなくなるのだ。しかしこのまま国道沿いに進んでも、結局降られるかもしれない。とりあえず雨雲の煙っていない国道の方へと進んでみたが、だんだん路面も黒く濡れてきて、そのうち小雨も降り出した。道の駅きんぽう木花館でトイレ休憩している間に、雲は全天に広がり、もうこれは雨を避けられないなと悟った。
ツーリングマップル九州P.55鹿児島7-D 旧版P.78鹿児島5-A
ここでハンディGPSは電池切れで強制オフとなり、位置測定やデータ記録が停まってしまった。まあ、このあたりなら海岸に出る道もなんとなくわかるし、どうせ濡れるなら楽な方の自転車道を進もう。国道から直角に海側へと向かい、うっすらとした記憶を辿りながら細い道を右に左に進むと、やっと京田海岸はこちら、との小さな矢印看板を見つけた。こんな時に限って通行人に全然出会わないのだから困ってしまうが、とにかくこっちへ行けば自転車道と交差するはずだ。坂がちょっときついが、ギアをローに入れてゆっくりゆっくり上った。
踏み固められた砂利道を過ぎて、ようやく見覚えのある自転車道へ交差。90度北へ転進し、ギアを上げて走り出す。しかしやっぱり水の流れは道に沿ってザーッと流れており、低いところから路肩へあふれ出している。最初は足を上げて靴が水をかぶるのを防いでいたが、ちょっとうっかりして水たまりにそのまま突っ込んでしまい、いつしか靴の中はぬるいお風呂状態となって、ペダルを回すたびカポカポ音がするようになった。
もうこうなったら、どうとでもなれ! 速度を上げて勢いよく水を切りまくると。泥ハネで脚は一面マダラ模様、それを深い水たまり通過でザブンとはね飛ばす水が一気に洗い流し、また泥ハネで汚れ・・の繰り返しである。きっと帰りつく頃にはホイールやクランクの回転ベアリングは泥水でグリスが流され、ほとんど油切れになっている事だろう。
途中、薩摩湖近くの休憩所で小休止。ザックを降ろして、中身が濡れていないかチェック。このザックは図体はでかいし自重もあるが、作りはしっかりとしているので、専用のザックカバー無しでこれだけ長い事雨の中を走ったのに、内部への水漏れはほとんど見られなかった。おまけに雨で脚が冷やされたせいか、わずかながら傷みもやわらいでいるようだ。ようし、この調子でさらに距離を稼ごう。こんな時に気持ちが落ち込んでしまっては、体力的にも這い上がれなくなる。
自転車道をどうにか日吉までクリアしたら、ふたたびR270へと舞い戻り、いちき串木野市境までの7つのピークを数えつつ、じっくりと越えてゆく。雨はさいわい小降りになってきたので、気持ちもだいぶ晴れやかになりつつある。
これから先のルートはもう決めてある。R3に出たら右に入り、ここから一番近いJR市来駅を目指して走る。そこから一気に地元の川内駅まで輪行するのだ。正直、これから標高90メートル超もある金山峠を越えるだけの脚力は残っていない。現在時刻は夕方の5時過ぎ。市来駅からの出発時刻はチェックしていなかったが、この時間帯なら1時間に2,3本は出ているはずだ。
R270から細い町道を通って市来駅入り口に入ってゆく。ここは国道と駅の距離が妙に離れているせいか、普段はちょっと目立たない。作者もたぶん利用するのは今回が初めてだろう。駅は無人駅で、列車を待つお客もいない。また雨がポツポツ落ちてきたので、構わずそのまま待合室に自転車を入れ込んだ。
ツーリングマップル九州P.51川内7-C 旧版P.72串木野4-H
あたりはもう薄暗くなってきており、駅舎やホームにも照明が入っている。びしょ濡れの格好のまま列車に乗るのも気が引けるから、ザックの中から最後の乾いたタオルと着替えを取り出して身支度しながら時刻表を見やると、6時台の便は・・6時15分、32分、55分とある。ただし32分の便は次の串木野駅停まりだ。
そして現在時刻は・・6時10分。発車まであと5分もない!
「こりゃマズイ!」
あわてて素早く着替えたら、脱いだ濡れシャツをザックに押し込み、自転車も速攻で折りたたんで輪行袋に放り込む。肩掛けストラップを付けている余裕はないから、袋のすき間から手を入れてフレームを直接掴んで持ち上げた。自販機から切符が落ちるのとほぼ同時に踏切の警報音がカンカンと鳴り出し、列車が入って来るのを知らせている。川内行きの乗降は1番ホーム、全部の荷物をかついでヨタヨタと無人の改札を抜けた。水濡れで荷がいっそう重くなっているが、今はそれどころではない。
ところで1番ホームとはどこだろう? 案内板を探すが、今いる一番手前のホームには何も書いてない。歩道橋を渡った向こう側の中州ホームには確かに2番の表示がしてあり、その向こう側、一番奥の表示は照明が邪魔でよく見えない。どっちだ・・?
その時、中州ホームに列車を待つ男の人がいるのを見つけたので、そこで反射的に、
「よっしゃ、向こうが1番だな!」
冷静に考えれば、一番離れている場所に1番と名付けたり、このお客の多い時間帯の列車をそんな離れた場所にわざわざ停まらせるというのは考えにくいわけだが、その時はかなり気が動転していたので、ヒザが痛いのを必死にこらえて重いザックと自転車をかかえ、一心不乱に歩道橋をよじのぼっていた。なぜなら、自分が乗るべき列車はもうすぐそこまで来ているのだ! 息を切らしながらようやく”1番”ホームに立ったのだが、その時逆方向の線路、つまり川内側からも同じく列車が入って来るのに気付いた。そしてその列車はまさに自分が今立っているホームに滑り込み、先ほどの男性が1人乗り込んだのち、鹿児島市方面に向かってゆっくり出発していった。。
「・・・・!」
当然の帰結として、川内行きの上り列車はさっきまでいた歩道橋の向こう側のホームからスルスルと出発。照明が邪魔をしてよく見えなかったこちら側の看板に3番とあるのがようやく確認出来た頃には、時すでに遅し。ハーッと深いため息とともに、ヘタヘタとベンチに座り込んでしまった・・。
結局この後の便まで40分も余計に待つハメとなり、おまけに歩道橋を無理して駆け上がったせいか、もう両のヒザは限界を超えて、歩くのもしんどい状態になってしまった。切符は川内まで買ったのだが、川内駅には同じ駅舎に新幹線も入っているため、在来線のホームからだとここの歩道橋よりも長大な階段を上り下りしなくてはならない(在来線にはエスカレーターもないのだ)。よって少し走行距離は増えるが、ひとつ手前の小さな隈之城駅で降りる事にした。この荷物をかかえて階段を歩くよりは、まだペダルを漕いでいた方が気楽だ。
結局、隈之城駅から4キロ離れた自宅に到着したのは、とっぷりと暮れた闇の中の午後8時過ぎ。午前10時にキャンプ場を出てから、実に10時間以上が経過していた・・。
豪雨の中を長時間走った愛車は、予想通りベアリングに細かい砂粒が入り込み、ちょっと回しただけで異音をガリガリと発する始末。ほとんどの箇所は簡単なオーバーホールで元通りになったが、リア側の6速フリーホイール(多段ギア)だけは分解出来ず、とうとう交換するハメになってしまった。
20インチサイズの折りたたみ自転車を手に入れて以来初めての1泊キャンプだった今回、いろいろ反省点も多いものの、それにも増して理屈抜きの自由さ、楽しさを味わう事が出来たような気がする。苦労もしたけれど、いつか機会があったらまたやろう!と心に強く訴えかけてくる何かがあるのだ。ガソリンエンジンに頼らずとも、自分の力だけであらゆる場所に自由に行ける喜びのようなものを、あらためて確認した次第である。
だが自転車旅行を満喫するには、オートバイ流の考え方ではやはりダメだ。今までとは違った装備も必要だろう。何より道具自体の軽量化こそ今後の急務と言える。そのあたりはまたじっくりと揃えてゆこう。
何も焦る必要はないからね・・。
おしまい
走行距離5.95キロ/所要時間25分/平均時速14.00キロ
走行距離22.90キロ/所要時間1時間40分/平均時速12.45キロ
※このグラフはGARMIN製ハンディGPS・etrex SummitのTrackデータを元に、GPSe (MacOS9版)で処理した画面を着色加工したものです。