※文中の()内の数字は、昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。
トンネル内はヒンヤリとしていて、壁面のコンクリの冷たさが伝わってくるようだ。往来するクルマの数も平日の昼過ぎという時間のせいか非常に少ない。長いトンネル特有の、バイク乗りには辛い排ガス臭もほとんどなく、やや道幅が狭い印象はあるものの、照明も明るくて走りやすい道だなと思った。
途中、県境を示す電光掲示板があったので駐車帯にBandit250を停めて記念撮影。旧道側にある石造りの道標とはずいぶん違うが、これが現代流というところか。ここを過ぎると今までずっと登り傾斜だったのがカクンと下りに転じる。だいたい鹿児島県側から4分の3ほど入ったあたりがトンネル内での分水嶺としてあるようだ。
久七トンネルを出るとまたすぐトンネルに。ただしこっちは200メートルもないほどの短さで、大塚という山の中腹あたりに出る事になる。正直なところ、もう少し市街地寄りに出口があるといいのにと思ったが、標高差などの関係でここらあたりが限界なのだろう。トンネル入り口からここまで約10分、写真を撮ったりしていたので実質はもっと早く抜けられると思う。
(九州:P64/B-3)
峠を発する渓流を眼下に見ながら、快適な2車線道路を下って一路R267の末端を目指す。ここは九州自然歩道にも指定されており、周りの景観もいい。大口市側と違って道の脇には食堂や自販機もポツポツとあり、山間の国道ながら寂しい印象は少ない。ただし携帯の電波は周囲の山々に遮られて届きにくいようで、ちゃんと使うにはもう少し平坦な部分まで降りる必要がある。
人吉の大塚あたりには平家の落人伝説とともに伝わる郷土玩具の「きじ馬」というのがあり、よく観察しているとあちこちの駐車場やちょっとした空き地に、木でこしらえた大小のきじ馬が鎮座している。平家伝説はその真偽はともかく、九州各地に広く伝わっているようで、いつかこれをテーマにして各地を訪ねるツーリングに出かけてみたいものだ。
途中、このきじ馬と一緒に宮崎アニメのキャラクターがベニヤ板に描かれてトトロ(とどろ?)の淵などと看板に書かれている場所もあった。ここが昔から本当にそういう地名だったのかはわからないが、このまま数百年も経てば、この大人気キャラも平家同様に伝説の一部になっていくのかもしれない。
さて、山間の道が次第に平坦になり、携帯のアンテナもピンと立てばR267のゴールは近い。
(九州:P64/C-1)
胸川沿いに駆け下り、球磨川とともに八代の海へと伸びるR219との交差点まで来れば、R267の旅も終わり。標識の下にBandit250を停め、カメラで撮影。トリップメーターはちょうど80キロメートルを指していた。ただ現在Bandit250の前輪は標準の状態よりやや摩耗して外周が短くなっている筈なので、実際にはもう少し短い距離だったかもしれない。このあと交差点を向こう側まで渡りきり、無事R267の全線一気走破は完成した。といって川内を出てから2時間くらいしか経ってないし、いつも走るなじみの道だから、正直さほどの感銘は沸いてこないけど。
さて、あとは温泉にでも入って、ゆっくり帰ろう!
R267を少し戻ったところの左手にある公衆温泉「明哲温泉」(通年営業・7:00-23:00・一般300円)でゆっくり汗を流す。風呂上がりにアイスなどかじりながら、帰路はトンネルを通らずに旧道側に回る事にした。確かにトンネルは便利で楽だけど、やっぱり旧道もちゃんと通っておかないと走破した事にはならないような気がしたからだ。
旧道への入り口は大口市側と同様にトンネルのすぐ手前に分岐路があるのですぐわかる。控えめに見ても1.5車線ほどしかない狭い道を、低いギアでゆっくり上がっていく。旧道とはいえ上の方にはまだ集落もあるし、立派な小学校だってあるのだ。むしろ一般のクルマがほとんどトンネル側に流れてくれるから、バイクでのツーリングにはこちらの方がお薦めかもしれない。
昨晩の雨でやや勢いを増している谷川のザー・・というせせらぎを聞きながら、山あいの道をトコトコ登る。道幅は狭いが、あいかわらず対向車はまったく来ない。ついこの前まではトンネル工事のダンプが轟音をあげて向かってきたものだが、もうそういう事は少ないだろうと思うと、この狭い道でも妙に安心感が出て来る。
周囲の木立が薄くなって空が明るくなり、田野の集落に入ってゆくと、まるで映画に出てきそうなかわいい赤屋根の田野小学校(近年分校から昇格したそうだ)が田植え間近の田んぼのまん中に見えてくる。熊本側の最後のバス停そばにはちょっと前までお店があったのだが、今はシャッターを閉め切り、もう営業していないようだ。自販機はまだ動いているので、Bandit250を停めて冷たいジュースで一服。
ここ田野をすぎるとカーブと傾斜がグッときつくなる印象。道幅も狭いままだが、それでも数年前に改修されて側溝にフタが付けられたおかげで、ずいぶん走りやすくなっている。
(九州:P64/A-3)
いよいよ県境部分に近づくと、道の左側に低い鉄柵で囲われた有名な道標が見えてくる。司馬遼太郎の紀行文、街道をゆく・肥薩(ひさつ)のみちにも登場する、いわく「まるで国境であるかのような威厳をもってあたりを払いつつ」立つ碑とはこれの事だ。土台を除けば高さ30センチほどの小さな石造りの石碑だが、この山間の狭道にあってその存在感はなかなかのもの。先のトンネル内にあった電光掲示板など何するものぞといった顔で、堂々と道に向かい立っている。久七トンネルの設計者ははたしてこの道標の存在を知っていたであろうか? もし作者ならこれに似たレプリカをトンネル内の県境部分にシャレでこしらえておくのだが・・(よそ見運転を誘発するとか言われて却下されるかもしれないが)
この県境からさらに600メートルほど上がったところが峠部分で、これとは別の大きな四角い石碑が据えてある。県でも市町村でも境界線には何らかの由来があり、たいていは川であったり尾根筋であったり、また街道沿いの峠の頂上であったりするのだが、この久七峠ではなぜかこのように境界線が峠部分から熊本県(昔で言うなら相良藩)側に相当食い込んでいる。これについては諸説あり、この峠を国境としていた薩摩藩と相良藩の間で激しい国境争いがあった結果だという説や、その昔この峠に住んでいた久七爺さんという知恵者が国境石を少しずつズラしてこうなった、なんて愉快な話まである。まあ現実には前者の説の方が堅いんだろうが、これだけズレてりゃ揉め事が起きない方がおかしい筈で、それが今の今までこの位置で治まっているのであれば、理由はともかく双方が妥協した上での結果なのだろう。青森の十和田湖畔あたりなど未だに境界線の問題で揉めている所がいくつもあるくらいだから、将来この久七峠にも石油か金の大鉱脈でも見つかればふたたび揉め出すかもしれないが、山間の梢を吹き渡る初夏の風にも、とんとそんな様子はなさそうだ。
大口市側は道も狭く、はっきり言って人吉側より整備状態はよろしくないが、こちらの方が山腹の高低差もあって険しく、改修工事が進まなかったのは仕方ないだろう。トンネルも完成したから補修以上の工事は今後期待出来そうにない。さらに路面には濡れ落ち葉の吹き溜まりがあり、特にカーブの前後はバイクでは気を付けて走らないと足下をすくわれそうになる。これもクルマの往来が少なくなった影響か。そのかわり峠の上から見渡す九州山地の眺めはなかなかのものだ。
緑濃い空気を吸い込みながら狭道を駆け下れば、先ほど通過したトンネルの入り口部分に到着。R267の旧道部分は約11キロメートル強とトンネルの約3倍はあり、時間はもっとそれ以上にかかる。でも作者がまた人吉の温泉につかりに来るときは、少々時間がかかるとしてもこちらの旧道側にふらっと入り込んでしまいそうな気がするのだが・・。
おしまい