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R267、端から端まで

※文中の()内の数字は、昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。

2004年5月10日

久七トンネル開通

川内市、R267のスタート

作者の自宅のすぐそばを通っているR267。地元の川内市(せんだいし)から北東方向に伸び、大口市から県境を越えて熊本の人吉市まで達している。全長100キロメートルたらずと国道としては短い方だが、奥薩摩と呼ばれる地域と西海岸地域を結び、特に熊本との県境には司馬遼太郎の著書にも登場する道標で有名な久七峠があり、歴史的にも重要な往還のひとつだったらしい。

この久七峠はいわゆる山間の「狭道」で、全線舗装されてはいるものの、1.5車線クラスの細い道が右に左にうねり、自動車の発達した現在でさえちょっとした難所。特に路面凍結する冬場は往来者にとって厳しい峠越えとなる。そこでこの数年来、県境をまたいだバイパストンネルを穿つ工事が行われていたのだけど、今年の4月いよいよ開通の日を迎えたという。

当サイトの常連さんでもあるVs氏の書き込みでトンネル開通の報を知った作者、話の種にちょっと通ってみようかなという気になった。ついでにR267をきっちり全線走破してみるのも面白かろう。我々地元民にとっては普通の生活道路だけど、きっちり端から端まで一度に走破した事は今まで一度もなかったかもしれない・・。


川内市をスタート

新幹線の高架

まずは川内市の市街地にあるR3との交差点までBandit250で移動。特に標柱はないが、ここがR267の西の起点となる。ここからまず東方向にある宮之城町に向かってみよう。

(九州:P67/G-6「R267入口」)

出発してすぐR267は地面に掘り込まれたアンダーパス状に下がり、その上を単線の鉄道ガードが渡っている。これは今年4月の新幹線開業と同時に第3セクターとなった「肥薩おれんじ鉄道」(旧JR鹿児島線の一部)。ここからほんの数100メートル進んだところに今度は九州新幹線が交差しており、真新しいコンクリ製の巨大な高架に頭上を覆われる。これが郊外の住宅地を一直線に横断しているので、以前の景観に慣れている人たちにはずいぶん空が狭くなったように感じるのだ。

この新幹線工事では当然ながら今まで住宅地だった土地を買収し、ぶっとい橋脚をまっすぐ等間隔に立てていくわけだが、いくつかの現場から古代の住居跡が見つかって一時騒然となった事がある。この川内市は成り立ちからしてかなり古く、学者先生に言わせればこういう代物がどこから出てきても不思議ではないらしいのだが、作者が中学生の時分まで住んでいた所でも発掘作業をしていたのにはびっくり。つまり作者は川内で生まれてから物心つくまで、ずっと古代人の住居跡のほんの1メートルほど真上で生活していた事になる。もしやkaneta家のご先祖様のお骨でも出てきやしないかと思ったが、さすがにそれはなかったようだ。

川内川ぞい

このあと数キロメートルも走るうち、周囲の家並みは閑散としてくる。やがて国道は市内を貫いて流れる1級河川・川内川(せんだいがわ)に沿うように上流に向かって伸びてゆく。昨今の大改修のおかげで路面はずいぶん立派になったが、次の東郷町に入るまでは歩道に人の往来も少なく、クルマ無しでは成り立たない田舎の交通事情が現れている。

薩摩郡・東郷町

(九州:P68/A-5)

東郷町の中心街は今ではR267の本線とバイパス的に切り離されており、せまい市街中心部を国道がモロに通り抜けていた頃に較べてかなり走りやすい。舗装の質も川内市内より上等なほどだが、南部の阿久根〜出水市方向へ接続する県道46号との交差点あたりでは拡幅工事をいつまでもダラダラと繰り返していたり、すぐそばに学校や幼稚園があって学童の往来も多いから、通過する時は毎回気を遣うところ。

日露戦争でバルチック艦隊を負かした東郷平八郎の祖先はこの町の出とも伝えられ、元帥直筆の墓碑が町の入り口あたりのR267のすぐ脇にあるが、さして興味も惹かれないので停車してまで観察した事はない。その他の有名人ではサッカー選手の前園真聖もここの出身。かつては町役場の一角に前園コーナーと称した展示室や交差点の目立つところに写真入りで「ガンバレ!」と大書きされた応援看板も据えられていた。しかし時代は移り、鹿児島実業高校ゆかりの城選手あたりがJリーグで大活躍するようになってからは次第に人気も衰え、今ではほとんど無かった事にされているのが、何だかものの哀れを感じる・・。

楠本駅跡

昭和の末頃まで、川向こうにはこのR267と平行するように宮之城線というローカル鉄道が走っていた。大口市まで伸びた鉄道はそこから山野線(これも既に廃線)に連絡し、沿線の人々の足となっていたが、作者が学生の頃にはすでに利用者も激減していたし、列車が走っている姿はともかく、乗った記憶はほとんどない。

それでもR267の路傍のあちこちには、かつての鉄道の痕跡が今でも見受けられる。この東郷町でも以前の楠本(くすもと)駅の跡が今も記念館として保存されている・・というより近所の老人会が使っている物置小屋と言った風体で、ポイント切り替え機や駅の看板がそばになければ、単なる道ばたの空き地でしかない。かつてレールが敷かれていた所には現在りっぱな舗装道路が整備されている。

このような鉄道の廃線跡をカメラで拾って回るのも、日帰りツーリングのネタとしては面白そうだ・・しかし実際には全国のほとんど全ての廃線跡は熱心な鉄道愛好家たちによって詳細に踏破調査しつくされていて、このローカルを絵に描いたような宮之城線ですらネット検索すれば数々の関連サイトがヒットする。

もしあなたが廃線跡めぐりに出かける際には、あまり事前情報を仕入れず、現地のオバチャンにあっちこっち聞きながら走って回った方が、ツーリングの楽しみとしてはずっと大きいかもしれない。


薩摩郡・宮之城町

宮之城町内にある轟の瀬

鮎の引っ掛け釣りが出来るくらい所々浅くなった川内川に架かる橋を越えると、山崎三文字の交差点。ここから宮之城町の市街地手前まで、鹿児島市方向から出水市に抜ける北薩縦貫道R328との共用区間になる。

(九州:P68/C-4「山崎三文字」)

ここから交通量がグンと増え、市街地の分岐でさらに鹿児島空港や九州高速道・横川IC方面へ連絡するR504も合わせて合計3本の国道が至近距離で交わる。R267は屋地派出所前交差点のY字路(といっても派出所は既に統廃合されて無くなった)を右に入り、ふたたび川内川を橋で越えたあと、T字を右折、鶴田町方向に向かう。

(九州:P68/D-3)

R504との交差点の手前にある橋から上流にかけて、川内川の三轟(さんきょう・急流の名所)のひとつ「轟の瀬」が横たわっている。まわりは賑やかな市街地で、周辺の足場も整備されているせいかあまり轟々たる印象はないが、近くで見ると水の流れはけっこうな勢いがある。荒々しい岩場には人工的に作られた導水路が残っており、かつて船で行き来していた時代に苦労して掘り抜かれたもの。さきの廃線跡といい、人間の生活を支えてきた交通機関の歴史を見ながらの旅とも言えるわけだ。

さて、R267はここから奥薩摩と呼ばれる山間の領域に入ってゆく。