※文中にあるツーリングマップルの記号数字は2003年版以降のページ/エリア番号。旧版はそれ以前の版です。
とりあえず雨具を着込んだままで阿蘇山塊を越え、南阿蘇まで戻る。阿蘇山上の草千里付近は午前中に上がったときよりも濃密な雲に覆われ、頭上からは時折ゴロゴロと雷鳴も響いて、かなりスリリングな状況。それでも南側の白水吉田線方向に下り始めるとガスもぐっと薄くなり、途中1箇所あるトンネルを抜けるころには視界もずいぶん開けてきた。
重苦しい雨の気配も上空から去り、ここでようやく雨具を脱ぐ事が出来た。背伸びをしながらあたりの山腹を見回すと、このあたりも一面黒々とした野焼きの跡を残しており、近くで見ると焼けた地面からは新芽がポツポツと出始めていた。時刻はまだ午後1時。このまま軽快にふもとまで駆け下り、登山道の入り口にある「瑠璃」という温泉に立ち寄って、ゆっくり汗を流す事にした。
ツーリングマップル九州P.92(拡大図)阿蘇山5-C 旧版P.40阿蘇5-B
先を急ぐのでなければ、こうやって温泉でのんびりしてみるのもいい。ブーツやジャケット、雨具などの装備をいちいち解くのが面倒な事もあってか、ツーリング中のライダーは予定以外の場所で立ち止まるのが案外苦手で、つい勢いで走りっぱなしになりがち。どうかすると飯も食わずに1日中走って、ガソリンスタンド以外ではロクにエンジンも切らなかったなんて事もあるが、それではせっかくのツーリングが単なる消化行程になってしまう。それでもガンガン走っている最中はまだいいが、いざ帰宅後に、ハテ今日は何をしたっけか、と思い返しても、なんとも内容が薄くて後味がよくないものだ。
瑠璃の少しぬるめな湯船でゆっくり伸び上がりながら、今日の帰路は久々に久木野からの小観峰越えをやってみる事にした。小観峰とはこれまた私が勝手に付けた名前だが、外輪山南端の細い山道を登ったところにある峠で、正しくは清水峠という。先の大観峰と阿蘇五岳を挟んでほぼ南北に正対する位置にあり、大観峰から眺める有名な釈迦の寝姿が、こちら側からは左右反対向きとなって見わたせるのだ。しかしながら前後の山道は細くて険しいし、途中の分岐もややこしいので初見だと迷う事もある。一般にはあまりおすすめのツーリングルートとは言えないが、個人的には俵山と並んで好きな道のひとつでもある。
南阿蘇の旧白水村から旧久木野村へ、田畑の間の細い道をのんびりと走る。後ろを振り返れば阿蘇の雄大な峰々、目の前の外輪山周辺はまるで水墨画に出てきそうな奇妙な山がモコモコと連なっている。阿蘇特有の観光地臭さも薄く、素朴な民家が点在している様は見ていて心が和む。こういうところも私が小観峰越えルートを気に入っている理由のひとつだ。
実はこのあたりは私がずっと昔に好きだった女性が嫁ぎ先に選んだ地でもある。だからこの道を通る度、道ばたで彼女とバッタリ出くわしたらどうしよう、などと年甲斐もなく秘かにドキドキしていたりするのだが、よくよく考えてみたら今や彼女のフルネームもすぐには思い浮かばないし、どんな顔をしていたかさえも、なんだかボンヤリとしてしまっている。たぶん先方は私以上にすっかり忘れきっている事だろう。市町村合併で旧い地名が地図から消えていくように、私の小さな思い出が霧の向こうに消え去ってしまう日もそう遠くはないかもしれない。
県道28から清水峠への分岐に入り、Bandit250のギアを2つほど下げて、急な坂をグイグイと登る。途中、牛の放牧場のまん中の細い道を突っ切るところもあり、ナマの阿蘇気分を満喫する事が出来る。「清水寺は右へ」という小さな看板のあるT字路を指示通り右に行き、針葉樹林のすき間を縫うように作られた細道をずんずん登ってゆく。
すると、思わぬ所で視界がパッと開けた。以前までは薄暗い林の中だったのに、片側の木々が大量に伐採され、更地のようになっているではないか。馴染みの道の変わり様に、しばし呆然としてしまった。この自然豊かな阿蘇と言えども、開発の波はじわじわと押し寄せてきているらしい。ここが建て売り住宅用地か、それとも新しい牧場地として切り開かれるのかはわからないが、これ以上木をバカスカ切るのはなるべく遠慮してもらいたいものだ。でもこういう思いも地元で暮らす人にとっては「お客さん」の意見でしかないのかもしれないが。
山腹に建つ清水寺を左手に見ながら、峠を目指して細い坂道を駆け上がる。道幅がせまくて離合が困難なせいか車の往来もほとんどないが、それでもたまに1〜2台はすれ違うから、あまりノホホンと走っていると危ない事もある。特に春先は山菜採り目的で入っている車が多く、ブラインドカーブの向こう側にドーンと路駐していたりするから、スピードも控えめに。
やがていっそう傾斜は急峻になり、高地の急傾斜に弱いBandit250は青息吐息、つづら折れのヘアピンカーブをクリアするのがますますきつい。見上げると、目指す峠への道筋が頭上に覆いかぶさるようにそびえている。
場所によってはローギアまでも駆使しながら、重い車体を引きずるようにようやく頂上近くの平らな部分にたどり着いた。入り口から登り始めて約20分、標高約800mの清水峠の上空は青空が広がり、まさに爽快の一語である。振り返って阿蘇山を眺めると、山上を覆うような高く厚い雲が見えた。あの真下はおそらく今も嵐のような天気となっているに違いない。
ツーリングマップル九州P.33高千穂2-B 旧版P.47高千穂1-C
眼下には南阿蘇の田園地帯が広がり、吹き抜ける涼風にジャケットを脱いでしばしの休息。ガソリンストーブでコーヒーを沸かし、ゆっくりと地面に腰をおろした。ここは観光ルートの俵山峠や大観峰とは違って、売店や自販機どころか駐車スペースもロクにない、ごく自然な峠道。ここから南はなだらかな高原がふもとの旧清和村まで続き、阿蘇の雄大な景観ともお別れとなる。
さらば阿蘇よ、また来る日まで!
ツーリングマップル九州P.33高千穂5-B 旧版P.47高千穂4-C
旧清和村の山間路を抜け、清和中学校の筋からAコープの裏手あたりに出る。そこから東西に走るR218に合流。この道を西に向かい、通潤橋で有名な旧矢部町を経由し、いつもの阿蘇通勤路であるR443の入り口までは約30kmというところ。
途中、人吉方向に南下する事の出来るR445や、逆に東に進んでから山深い椎葉村を南下し、宮崎の小林に至るR265のルートもあるが、どちらもかなり険しくて時間を食う道なので次回に譲る事にしよう。なぜなら、ググーッと鳴ったお腹の虫にまだ昼食を食べていないのに気付かされた途端、いつも立ち寄る旧矢部町の小さなラーメン屋さんが俄然恋しくなってきたからだ。
例の市町村合併で、清水峠から南側の清和村、矢部町、R265への入り口になる蘇陽町も今では山都町(やまとちょう)と名を変えている。それぞれの地元の都合とは言え、傍目にはあまり関連のなさそうな町同志の広域合併は、このように旅日記を書く段になると不都合この上ないものだ。山を越え川を越えて、走っても走っても同じ町内ではこちとらまるで気分が出ない。といって馴染んだ地名にいちいち旧をつけて書くのも面倒だ。これら新しい地名が定着するには、まだまだ時間がかかる事だろう。
R218を走る途中、三輪という集落で、川にかかる鯉のぼりの大集合を見つけた。こいういうのを最初に始めたのはどこの自治体だったか忘れたが、今や全国的にやっているようだ。うちの地元でも時々見るし、このあたりの緑川水系では霊台橋の少し下流でも以前見た事がある。でもこれだけ多いと中には脱落するのもいて、川の底にはロープの切れた緋鯉が1,2匹、水中に沈んでくしゃくしゃになっているのが見えた。
旧矢部町はR218の沿線でもかなり大きな都市で、全国的に有名な通潤橋という観光の目玉がある。大きなショッピングセンターや商店街も周辺の町に較べて活気があり、交通的にもR445との交叉点となっていて、町に近付くと交通量がグンと増える印象だ。
細い商店筋を入り、郵便局の奥にある「おちかラーメン」に立ち寄る。場所がちょっとわかりにくく、愛用のハンディGPSにも座標をしっかりメモリーしてある。でもそれ以上に何度も自分の足で来ているので、わざわざナビゲーションをかける事もないのだが。
ツーリングマップル九州P.32熊本5-K 旧版P.46熊本4-H
北緯32°41’03.5” 東経130°59’18.4” (WGS84)
Bandit250を店の前に止めると、換気扇からうまそうな香りがブワーッと吹き付けられ、腹ぺこライダーにはもうたまらない。小さな店だが、その筋では割と有名らしく、遠方からのお客さんも多い。店のおばちゃんもその辺は心得ていて、帰り際には「気を付けて家まで走ってね」と気遣ってくれるのもいい。私自身は特にグルメってわけじゃないし、うまいラーメン屋を求めて食べ歩くなんて事もしないが、この近くに来るとつい足が向いてしまう。
大きなチャーシューが乗った特製ラーメンをすすりつつ、おばちゃんと世間話。こちらでも午前中は変な天気だったらしく、「阿蘇ではヒョウに遭いましたよ」と言ったら、そうじゃろ、やっぱりそうじゃろな、と近くのカウンターに座っていた地元のおじさんが妙に頷きながら同意していた。そういえばほんの何時間か前には、降りしきるヒョウの中、シートの下でみなギュウギュウにうずくまっていたっけ・・その事を思い出し、少しプッと笑いが漏れてしまった。
腹は一杯、体も温まった。時刻は午後3時を回ったが、今からならゆっくり走っても暗くなる前に家に着けるだろう。おばちゃんのいつもの見送りの言葉を受けて、飛び散った泥がすっかり乾いて白くなったBandit250のエンジンをスタートさせた。
さあ、わが家までもうひとっ走り。
おしまい