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曽木の滝発電所遺構

※文中の()内の数字は、昭文社刊ツーリングマップル(2000-2001年度版)のページ/エリア番号です。

2003年8月2日

関東在住のRさんは、型こそ違うけど私と同じBanditユーザー仲間。ロングツーリングが好きで、毎年のように九州ツーリングにやってくる。

今年5月の連休にも来鹿され、地元の川内川上流にある観光名所、東洋のナイアガラとも異名をとる曽木の滝を案内したのだけれど、その時1枚の看板に目がとまった。

看板

『曽木の滝発電所遺構・・これって何ですか?』

とのRさんの問いかけに、私は少したじろいだ。この曽木の滝に限らず、どんな観光名所でも地元民にとってはごくあたりまえのご近所の風景。お花見の時期でもない限り、普段はわざわざ駐車場に車を停めたりしない。昔このあたりに発電所があった話は知っていたし、遠足か何かで見学しに来たような記憶もあるけど、正直なところ今までまったく関心を持っていなかった。なんとか記憶の糸を探りつつ、知っているかぎりの言葉を並べたが、この看板に書いてある事以上に詳しい説明は出来なかった。

川内川の”三轟”

九州有数の大河である川内川。この流域には三つの大きな荒瀬があった。下流から行くと宮之城町の中央にある「轟(とどろ)の瀬」、少し上流の「神子轟(かんこ・とどろき)」、そして大口市に入ったあたりにある「曽木の滝」である。これらを三轟(さんきょう)と言い、昔から船の行き来に難儀したと言われている。

轟の瀬は荒々しい岩と川浪がぶつかりあう名所だが、町中にあって周囲も整備され、橋や堤防の上から見下ろせるせいか、あまり大仰な感じはしない。その上流の神子轟も流域に出来た小型ダムによって半分沈んでしまった。唯一昔の面影を今に残している荒瀬が、この曽木の滝なのである。

(九州:P63/F-6)

かつてこの滝の下流には、自然の落差を利用した水力発電所があり、廃棄されて久しい現在もその各施設は川岸づたいに残っている。中でも特徴的なのは上の写真にもある発電設備を収めていたトンガリ屋根の建家だが、後年下流に鶴田ダムが造られ、ダム湖の水面下に沈む事になった。

例年春の終わりから夏にかけて、台風などによるダム満水を防ぐための水量調整をやるのだが、その時ダム湖の水位がぐっと下がる。その時期のみ、湖底に建つその姿を見る事が出来るというわけ。夏休みに入った今頃が、ちょうどその時期にあたるのだ。

この5月、Rさんに満足のいく説明を出来なかった口惜しさも手伝ってか、思いきり地元ではあるけど、ちょっと出かけてみた。今回はうんと近場なので、気軽にデジカメ片手にFitで行く事にした。たまにはクルマもいいだろう。

曽木の滝

滝

川内市からR267を北上する事約1時間、大口市に入ってしばらくすると案内看板が見えてくるので、それに従い左手に入る。駐車場には売店や食堂が並び、ごく普通の観光地といった感じ。周辺は桜並木が多く、春先には花見客でも賑わうところだ。

駐車場から坂を下りて川面に近づくと、明らかに人工的な水門やトンネルの跡が現れる。これらがかつて下流の発電所に水を送っていた部分に当たる。今は導水トンネルのみが霊芝の栽培施設になっている以外、錆びつくままに放置されているようだ。

それでは、問題の発電所跡に行ってみるとしよう。といっても昔行ったきりだから、道からどのくらいの距離を歩くのだったかよく憶えていない・・。

まぁなんとかなるさと思って車に向かっていると、駐車場の奥からいかにも長距離ツーリング中ですといわんばかりの荷物満載バイクが2台出てきた。歩いていた私のすぐ背後を、野太い排気音を響かせてXJR1200とレプリカCBRが連れだって「ゴォッ!」と走り抜けていく様に、少し嫌な印象を持つ。

『まこて、せっからしか奴っどんじゃっ』

そばの売店のおばちゃんが誰に言うとなくこぼした。本当にうるさい人たちだなぁという意味だが、私もまったく同感だ。いつもはバイクに乗ってあちこち走り回っている私だが、わざわざ大金かけてまで騒音の大きい排気管に替える神経だけは、どうにも理解しがたい。いい音?パワーが出る?そんなのは乗ってる奴だけにしか感じられない、ガキっぽい自己満足ではないか。耳障りな騒音を発散してすぐそばを走り去る金属塊が、周囲の歩行者にどれほどの緊張と恐怖を与えているか、少しは考えていただきたいと思う。


発電所跡へ

遺構の影かな

曽木の滝周辺はここ何年かで急速に整備が進んでいる。県道もかなり拡幅されたし、あたりには公園やキャンプ場?も次々に造成されている・・が、なんだか造りっぱなしの印象が否めない。発電所跡まで行くには立派な歩道が出来ているし、広い駐車場もあった。奥の方ではまだ重機がゴウゴウとうなりを上げて、山を削り、公園を造っている。しかしいったい何年前から工事をやっているのかという感じ。歩道も周囲の木の根に浸蝕されてボコボコになっているし、せっかく埋めた土も雨風に流されて穴が開いている。県内によくある地元振興計画のように、完成前に放棄されねばよいのだが・・

駐車場に車を停めると、なんとさっきのバイク2人連れがゴロンゴロンと音を響かせてやってきた。どうやら彼らも目的は同じらしい。それにしても先に出発したはずだが、こんな1本道で迷っていたのだろうか。

騒々しいエンジンを停め、バイクから降りても地元民(つまり私)とは目を合わさないようにしている2人のうち、リーダー格らしいXJRに乗る大柄な彼に思いきって声を掛けてみた。

『こんにちは。発電所跡を見に来たんですか?』

すると彼はハッと私の顔を見上げ、『はい、そうです』と答えた。ついで、どちらからですかと尋ねると、ひと呼吸おいて『北海道からですよ・・』と誇らしそうに言ったので、ほう、そいつはえらいなぁと思ったけど、私だってBandit250で北海道まで往復した事があるし、この大型爆音野郎に”それは大したものですねぇ”などと感心してやる訳にはいかないので、

『へぇそうですか、九州はずいぶん暑いでしょう』

と、ごく平易に返したら、向こうは何か物足りなさそうな顔をしていたのがちょっとおかしかった。

ここから発電所跡までは歩いて5分。途中階段もあるが、オフロードバイクでも持ってくれば、そのまま走って行けない事もない。何しろ造成中だからいくらでも抜け道はあるのだ。涼しい木陰から川向こうを伺うと、青々と繁った夏草の奥に、明らかに人工物の気配がある。

(あれが、そうか・・?)


発電所遺構

遺構全景

階段のあとの下り勾配を駆けおりると、木の床が丸くステージ状になっている場所に出た。近くには曽木の滝と同様の案内看板が立っている。手すりに身を乗り出すように向こう岸を見ると、確かにそれはあった。

背景にある緑の木々や生い茂るツタ類と、だいぶ水位の下がった暗い川面がなければ、まるで演劇の舞台セットのようでもある。昔風のレンガ造りの壁面が日に焼け、夏の蝉の声を聞きながら茫洋として川岸に建っている様は、まるで時間の流れからそっくり取り残されているようだ。

水に沈む遺構

1年の大半はダム湖の底に沈んでいて、夏の時期だけ(例年では6月から9月上旬頃まで)湖底から姿を現すなんて、なかなかドラマチックではないか。

さきほどのバイク2人連れは何やらゴソゴソ動き回っていたが、別に記念写真を撮るでもなく、やがて来た道を戻って行った。さて、ようやく一人きりになれたので、ザックの中からスケッチブックを取りだし、いつものように描いてみる。何だかんだ言っても、人前でスケッチブックを開くのは気恥ずかしいものがあるのだ。

発電所の歴史

曽木の滝のすぐ下に曽木発電所が完成したのが明治40年というから1907年、つまり約1世紀前。これにより曽木あたりの家庭用電力はもとより、近隣の町村や鉱山の動力をまかなっていた。さらに熊本の水俣まで余剰電力を送電し、当時の灯火の燃料であったカーバイト(むかし夜釣りで使っていたカンテラの燃料・・もう知らない人も多いかな?)の工場までも動かしていたという。

その後、規模を拡張し造られたのが、現在も印象深い遺構の残る第二発電所。当時の発電設備としては破格の規模だったそうで、全国から技術者や作業員がこの山あいに大勢集まり、その賑わいはなかなかのものだったらしい。

遺構スケッチ

それから戦争などを経たのち、昭和40年に近代的な発電設備を備えた鶴田ダム(九州で第2位の規模)が下流に完成。かつて発電所景気に沸いた集落跡とともにダム湖底に沈むまで、実に60年もの間動き続けていたのだ。その長い歴史を想うと、今のこの存在感にも納得がいく。

ちなみに水俣にあったカーバイト工場とは、あのチッソの前身でもある。この名前にあまりいい印象を持たない人も多いだろうが、じつは戦後日本の産業の基礎となった半導体開発に重要な役目を果たした拠点であったという。北薩の山中に眠るこの遺構、自然環境と人間社会のあり方についても、意外に深いメッセージを現代に向けて発している隠れた名跡なのであった。


おしまい

曽木の滝発電所遺構・その後 2004年7月12日